「日の名残り」
執事が、執事としての役割を離れてよい状況はただ一つ、自分が完全に一人でいるときしかありえません。
「日の名残り」カズオ・イシグロ著(ハヤカワepi文庫) ISBN: 9784151200038
1956年7月。英国オックスフォードシャーの館で執事を務めるスティーブンスは、主人のすすめで短い一人旅に出る。わずか6日間の旅路で胸に去来する、過ぎ去った栄光の日々と、悔恨。
今さらだけど、文句なしの名作。つくりものなのに、何故こんなにもリアルに、主人公の名状しがたい感情を味わうことができるのだろう!
親子二代にわたって、もてる時間のすべてをかたむけ、高潔な執事のあり方を追求してきた主人公。一人称の丁寧な語りがまず、物語全体の読み心地をこのうえなく端正にしている。南西部へのドライブの道すがら、スティーブンスが目にする美しい田園風景が英国の品格を、さらには回想のなかで繰り広げられる、大戦前夜の緊迫した外交の裏舞台が、伝統に支えられた執事というプロの強い矜持を、鮮やかに描き出す。
けれど、読む者は知っている。どんな価値観も時の流れにさらされ、いずれは移り変わっていく。永遠に揺るがないものなんて、きっと何もない。そのことに気づいたとき、人は苦くて残酷な問いに向き合うのだ。生きる意味とは何か。二度と後戻りできない、人生の意味とは何なのか。
世の中のたいがいの人は、一流の才能とか、疑う余地のない歴史的な使命とかとは縁がない。努力して目の前の義務を果たして、無名のまま生きていくだけだ。そのことを引き受けて、たどり着いた港町で静かに眺める夕暮れの、なんと切なく、美しいことか。全編に散りばめられた控えめなユーモアが、決して折れない精神のタフさを感じさせてじつに爽快だ。ブッカー賞受賞。土屋政雄訳。SNS「やっぱり本を読む人々。」100冊文庫の1冊。(2009・5)
『日の名残り』 カズオ・イシグロ (ハヤカワepi文庫) 《四季さんオススメ》 続活字中毒日記
『日の名残り』 カズオ・イシグロ Roko’s Favorite Things
« 「レッドゾーン」 | Main | 「ガリレオの苦悩」 »
Comments
TrackBack
Listed below are links to weblogs that reference 「日の名残り」:
» 『日の名残り』 カズオ・イシグロ [Roko's Favorite Things]
日の名残り (ハヤカワepi文庫)posted with amazlet at [Read More]
COCO2さん☆こんばんは
執事という仕事は、身も心も捧げて初めて成立するものなのですね。
ページを開くと、そこには英国の風景の美しさと、スティーブンスさんという執事さんの真面目な顔が目に浮かんでくる、本当にステキな作品でした。
Posted by: Roko(COCO2さんへ) | May 31, 2009 09:53 PM