「われらが歌う時」
「子供たちには未来の話をしましょう」唯一堪えることができる場所。
夫がうめき声を漏らす。「どの未来?」
「私たちが見た未来」
彼は思い出す。
「われらが歌う時」リチャード・パワーズ著(新潮社) ISBN: 9784105058715 ISBN: 9784105058722
亡命ユダヤ人の物理学者と、声楽を学ぶ黒人女性が、あるコンサートの会場で運命的な恋に落ちた。やがて生まれた三人の子供たちと、アメリカがたどる波乱の半世紀。
とても饒舌な作家だ。上下巻1000ページにわたって言葉がぎっしりと詰まっていて、読んでも読んでも進まない気がする。でもそれは、イライラするような体験では全くない。言葉の海、イメージの海に、心地よく溺れることができる。饒舌で、とても腕力のある作家だ。
戦前から90年代までの時間軸を行ったり来たりしながら、家族の物語を綴っていく。戦争や公民権運動という時代の激動が、時に愛する家族の心を遠ざけてしまう切なさ。大きなテーマの一つになっている異人種結婚の困難がどういうものかは、にわかには実感しづらいけれど、登場人物それぞれが味わう苦い思いの細部を通じて、だんだんにその重さが伝わってくる。
ちょうど、オバマ氏が大統領に当選した時期に、この小説に出会った。彼は歴史に残る当選後初の記者会見で、新居(ホワイトハウス)での飼い犬の選定について「ミクスト(雑種)になるだろう。私のように」と発言した。冗談として報道されていたけれど、決して軽い意味合いではなかったのだろう。
登場人物のうち、長男で、天使の声をもつジョナがとても魅力的。奔放で口が悪くて、シャイな天才。なにしろ、さんざん世話になった弟に久々に電話してきて、いきなりベートーベンを歌い出すのだから。
このジョナを中心にして、小説全編に音楽が鳴り響いているのがまた、心地いい。ネットを駆使して、物語のなかで流れるバッハやらジャズやらの断片を聴きながら読み進んだ。本当に便利になったなあ。1939年の4月、ワシントンに7万5千人を集めたマリアン・アンダーソンの、伝説のコンサートのニュース映像さえ、手元のパソコンで見ることができる。たいしたもんだ。
そんなこんなで、長大な物語のラストに近づくにつれ、古今の膨大な旋律が頭の中に積み重なってくる。そこへ、一家の父が生涯追い求めた「時空の謎」が共鳴し、なにやら問答無用の感動がこみあげる。本当に、その気になれば未来は、私たちの手の中にあるのかもしれない。高吉一郎訳。(2008・11)
われらが歌う時 瀬名秀明の時空の旅
『われらが歌う時』(リチャード・パワーズ) 書店員のオススメ読書日記
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