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October 23, 2008

「あやつられ文楽鑑賞」

文楽の人形は、魂の「入れ物」である。大夫さんの語り、三味線さんの奏でる音楽、そして人形さんが遣うことによって、はじめて魂を吹きこまれる「容器」なのだ。だから場面に応じて、人間以上に「人間」になることも、聞き役に徹する「背景」になることもできる。

「あやつられ文楽鑑賞」三浦しをん著(ポプラ社) ISBN: 9784591097830

人気作家が綴る、文楽体験とその魅力。

大夫や人形遣いを楽屋に訪ね、著名な演目を解説し、関連する歌舞伎や落語の鑑賞にもチャレンジ。著者は理解できないことは理解できないと、遠慮なく突っ込むし、ときに鑑賞しながら眠っちゃうことも隠さない。あくまで率直、軽妙で、文楽初心者の読者としては、とても親しみを覚える。

とはいえ、そこは作家だから、近松「女殺油地獄」を解釈するあたりは、深い。あえて心理描写を排除した作品の狙いや、同じ演目でも人間が登場する歌舞伎との演出効果の差など、思わずうなってしまう。著者と一緒に、「文楽」という底なし沼にはまっていきそうだ。

インタビューを受けている人間国宝とか、もうすぐ国宝とかの人々が、皆さん飄々と、肩に力が入っていない感じで興味深い。伝統芸能という「我が道」を探究する名人ならではの、風格というものだろうか。また文楽見物に出かけるのが楽しみです。(2008・10)

あやつられ文楽鑑賞 三浦しをん 活字中毒日記
「あやつられ文楽鑑賞」三浦しをん しんちゃんの買い物帳

October 19, 2008

「ジョーカー・ゲーム」

だが、そんなことが本当に可能なのだろうか? 一生誰も愛さず、何ものも信じないで生きてゆくなどということが。

「ジョーカー・ゲーム」柳広司著(角川書店)  ISBN: 9784048738514

陸軍に極秘に設置されたスパイ養成学校「D機関」。数カ国語を操り、哲学や戦術を自在に論じ、金庫破りから変装術までを体得した異能の男たちの、見えない闘い。

本好きブロガーの間で評判の連作短編集。これはお得です。250ページぐらいだけど、その3倍ぐらいの分量を読んだ気分。非常に平易で読みやすい文章ながら、騙し騙されの二転三転が詰め込まれ、どの一編も、読み終わるまで全く息が抜けない。

百戦錬磨の英国諜報機関の手に落ちて、どうやって機密を守り、敵地から脱出するか。ときに、絶体絶命に見える孤独なスパイたち。裏を読み、先を読み切る知力を支えるのは、使命感でも愛国心でもない。ただ一つ、あらゆる固定観念にとらわれないタフな精神だけだ。ヒロイズムに流れない、自制の効いた筆運びだから、ほんの少しかいま見える人間の弱さ、切なさが際立つ。

著者がもつ引き出しの多様さを感じさせ、シンプルでいて、ものすごく映像化しにくそうな、濃密な一冊。日本推理作家協会賞、吉川英治文学新人賞受賞。(2008・10)

『ジョーカー・ゲーム』柳広司  大台突破

October 15, 2008

「聖母(ホスト・マザー)」

 細い足が力強く大地を蹴る。そのたびに一つに結んだ髪の毛が背中で跳ねる。オレンジのサリーの裾が翻る。まるで、生命そのものが駆けていくようだ。
 ふいに身体の奥から、熱いものが突き上げてきた。

「聖母(ホスト・マザー)」仙川環著(徳間書店) ISBN: 9784198625771

病に見舞われながら、「子供を持ちたい」と願った平凡な一女性と、その周囲とが直面する、様々な苦悩。

なんだか生殖医療のシミュレーション小説のようだ。行換えが多く、300ページ強と、さほどボリュームがあるわけではない1冊に、「産む選択」をめぐる困難とか、当事者たちの激しい心の揺れとかをぎっしり詰め込んである。そして最後にしっかりと、謎も仕掛けられている。

同じ著者の「無言の旅人」に続く重いテーマだと思うが、今回も、というべきか、筆運びはちょっと淡泊過ぎるほど。読む前は、こんなテーマだから、怒濤の感動や共感を想像しそう。だけれど個人的にはそういう感じはあまりしなくて、むしろ「親がもつ生命力」といったものについて、しみじみと考えてしまった。それが狙いなのでしょうか…(2008・10)

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October 13, 2008

「パパ・ユーアクレイジー」

「それはどういう悩みなの?」
「生きているという悩みさ。ただし、私は急いでこの悩みを追い払うつもりはないがね」
「僕もそうだよ」
 やがてコーヒーができあがった。僕の父は自分のカップにコーヒーを注いだ。

「パパ・ユーアクレイジー」W・サローヤン著(新潮文庫) ISBN: 9784102031032

米国西海岸に住む作家と10歳の息子との、ちょっとコミカルな共同生活。そして人が人に、会話を通じて伝えていくこと。

アルメニア移民の著者が綴る温かい物語を、20年ぶりぐらいに再読した。親子はドライブしたり、一緒に海辺を歩いたりしながら、たくさんたくさん話をする。「卵のマリブ風」という、読むだけで音と匂いが伝わってくるような料理の話や、知的な言葉遊びや、お金や仕事の話。断片的なエピソードの連続が、やがてうねりとなって、生きることの意味のようなものを語りかけてくる。

主語をなるべく略さないようにしたという伊丹十三の丁寧な訳が、しみじみとしたテンポだ。この訳者も何事につけ、手抜きをしない人だったんだなあ、と改めて思う。(2008・10)

October 12, 2008

「ぐらり!大江戸烈震録」

そうでしたか。地震てのは、いろんな罪作りをしやしたね。地震前と、あとでは、がらりと人間を変えちまいやしたよ。
 私もねーー旦那、聞いてくれますか?

「ぐらり!大江戸烈震録」出久根達郎著(実業之日本社) ISBN: 9784408535043

幕末の江戸。安政大地震発生と復興を背景にした、江戸庶民の心模様。

2001年から06年に発表した、地震をテーマにした短編を再編。第一部は仏具店の娘おようと縁者が、いろいろな事情から被災体験のインタビュー集を書くことになる話。第二部はその「安政地震見聞録」の抜粋という構成になっている。さらに最後の「あとがきにかえて」という1章は、「見聞録」の現存をめぐる逸話になっていて、古書店主だった著者ならではのなかなか凝ったつくりだ。

いやー、それにしてもいつもながら、リズムのいい文章。ごく普通の言葉を連ねているだけだと思うのだけど、情景の説明が短くて的確だ。読点の配置も、なんとも心地いい。大人の男女の淡い恋心と後悔を、魚のほろ苦さにたとえた「寒たなご」あたりは、うなりますね。(2008・10)

 

October 11, 2008

「市民と武装」

結局のところ、カレンが諸民族の統合の絆として考えたのは、諸民族の独自性を許容するアメリカ民主主義の伝統であり、そのような民主主義国家への忠誠心であった。彼の狙いはエスニック文化の正当化にあったのだが、結果として、民族的多様性を調和させるために、国家の政治的統一力を導入しなければならなかったのである。

「市民と武装」小熊英二著(慶應義塾大学出版会)  ISBN: 9784766411003

近代日本研究で知られる社会学者のアメリカ論。

バトンルージュ事件、湾岸戦争を踏まえて1992年から93年に書かれた論考。米国でなぜ銃規制が進まないのか、また米国はなぜ「世界の警察官」たらんとするのか、という角度から、その複雑な社会の成り立ちを読み解いた。2004年の出版に合わせて、補論を加えている。
短く端正な文章。比較的気軽に読めるが、刺激に富む。著者が着想を得たという、戦時公債キャンペーンのポスターなどが興味深い。(2008・10)

October 05, 2008

「すべてがFになる」

「どこにいるのかは問題ではありません。会いたいか、会いたくないか、それが距離を決めるのよ」

「すべてがFになる」森博嗣著(講談社文庫)  ISBN: 9784062639248

三河湾の孤島に建つ情報系研究所。少女時代から「幽閉」されていた天才工学博士が殺害された。居合わせたN大助教授の犀川と学生の萌絵が、密室の謎を解く。

2008年いっぱいで自身のブログを閉じると宣言、作家活動についても節目になることを示唆しているという話題を聞き、この機会に一度読みたいと思っていた著者。そのあまりに有名な第1回メフィスト賞受賞作にチャレンジした。

個人的には、現実にはありそうにない密室とか、いろんな約束事が作り込まれた舞台設定というのは、なかなか入り込めなくて苦手。でも、この「真賀田研究所」については意外にするする読み進んだ。システムの解説などをリアルに思えたせいだろうか。仮想現実のシーンなど、いかにもありそうだ。1996年発表ということを考えると、技術の先を見通して、それをわかりやすく示す著者の基礎体力みたいなものが、相当タフだということだろう。

探偵役である犀川は、天才で変人。その相棒は凡人だけどよき理解者、というのが定番だと思うけど、予想を裏切ってもうひとり別のタイプの天才、天然系の萌絵を配したのも、いいテンポにつながっている感じ。登場人物の名前が珍しいのは、何か意味があるのかな。(2008・10)

October 01, 2008

「ツ、イ、ラ、ク」

隼子は急いでいた。どこへ行くのかわからないが、早く、どこかへ行かなくては間に合わない。なにに間に合わないのか、それもわからない。しかし、急いでいた。

「ツ、イ、ラ、ク」姫野カオルコ著(角川文庫)  ISBN: 9784041835142

閉鎖的な地方の町での、秘めた恋と、二人のその後。

恋愛小説だけれど、なんだかごちゃごちゃしている。埃っぽい体育館やら、大人びていたり幼稚だったりするクラスメート同士のすれ違いやら、大人になってから振り返ってわかる、大人たちが中学生に課す様々な足枷の理不尽やら、まあ、恋愛と関係なさそうな話が、短い場面展開の中にぎっしりと詰まっている。

ああそうか、あの頃って、こんな風にごちゃごちゃしていたんだ。そのごちゃごちゃの最たるものが、恋だったんだーー。周到な、たくらみに満ちた一冊なのかもしれない。(2008・9)

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