「ペンギンの憂鬱」
こうなってくると、まるで自分の人生が真っ二つに分かれているみたいだ--半分は自分の知っている部分、もう半分は自分の人生なのに自分でも分からない部分。
「ペンギンの憂鬱」アンドレイ・クルコフ著(新潮クレストブックス) ISBN:9784105900410 (4105900412)
ペットのペンギンと暮らしている、売れない短編作家のヴィクトル。生活のため追悼記事の予定稿を書く仕事を始めるが、書いた政治家やビジネスマンが次々亡くなり、なにやら陰謀めいたものに巻き込まれていく。
ウクライナのロシア語作家によるベストセラー。面白くて、どんどん読んだ。少年少女向けのような平易な文章で、ひょうひょうとしたヴィクトルの言動にはユーモアが漂う。しかし、油断してはいけない。食べて寝て、というささやかな日常にひたひたと、何とも言えない不安が満ち、やがて読者の胸がざわめいてくる。
舞台は1990年代、ソ連崩壊後のキエフ。私はウクライナについて実はほとんど知識が無いのだけれど、この小説で描かれる国情はかなりシビアだ。カネ(それもルーブルやドル混在)が無ければ医療サービスを受けることや葬儀もままならず、治安が悪くて、自衛のため住民が仕掛けた罠に泥棒がかかって命を落としても、住民たちはさほど驚かない。
背景には、社会構造と価値観の激変があるのだろう。社会的地位のある人物やマフィアが入り乱れ、秩序が揺らいでいる。実際、小説では登場人物がいつの間にかたくさん死んでしまうが、彼らはそういうことを、声高に嘆いたりしない。信じられるものはない、だから文句を言わず、なんとか生きのびるだけだ。
家でペンギンを飼っている、という設定が、ものすごく効果的。部屋をぺたぺた歩き回る光景は最初、なんとも突飛に感じるけれど、ペンギン自身は静かでおとなしく、おまけに不眠症という設定だ。物語の中盤、「氷上のピクニック」の場面で見せる生き生きとした様子との落差があまりに大きく、その家の中にいる姿はもの悲しい。なにしろ本当は、南極にいる動物なのだ。まさに、「いるべきではない場所にいる自分」だ。
ヴィクトルもペンギンに似ている。身に迫る、正体のわからない脅威に違和感を抱えているけれども、有効な対策は何もうてず、恋や友情に対しても常に受け身でいる。その「人生のどうにもならなさ」がリアルなだけに、ついに行動に出るラスト一行が、鮮やかだ。沼野恭子訳。(2008・3)
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