「盗聴 二・二六事件」
翌朝の討伐開始を前に、反乱軍への説得や、情報偵察の電話が頻繁に行き交い、早朝にかけて五分刻みに電話の傍受もなされているというタイミングをはかって、すでに獄中にいる北一輝の名を騙った何者かが、「幸楽」の安藤のもとへ電話を入れたのである。通話が傍受・録音されていることを十分に意識した上で。
「盗聴 二・二六事件」中田整一著(文藝春秋) ISBN:9784163688602 (4163688609)
NHKのライブラリーから発掘された二十枚の録音盤。そこには二・二六事件進行中の東京各地における、電話の傍受記録が残されていた。
文章がたいへん読みやすく、ぐいぐいと引き込まれた。著者はNHKで昭和史ドキュメンタリーを手がけた元プロデューサー。映像が本職ゆえだろうか。大量の文献、捜査・裁判記録などをふまえながらも、くどい引用や解説はない。
明晰、簡潔な筆致で描かれるのは、録音盤に刻まれた事件当事者たちの「肉声」だ。掃討を覚悟して、無念を噛みしめながら知人に別れを告げる青年将校。あるいは夫の苦境を知らず、やりとりに明るささえ感じさせる山下奉文少将の妻。声がもつ圧倒的な存在感が、くっきりと浮かび上がる。
「盗聴なんかやったばっかりに」。実際に傍受に携わった人物が長い年月を経てもらす、悔恨の言葉が痛切だ。法を踏み越えた捜査が実行された背景には、クーデターという未曾有の危機に対応し、素早く施行された戒厳令があった。それは事件の鎮圧と事後処理を主導した軍部が力を持ち、やがて独裁へと突き進んでいく導火線にみえる。
歴史の転換点における軍内部の暗闘、謀略や、外国大使館に入り込んで状況をみつめるスパイの活動など、スリリングな場面も多い。何より印象的なのは、「肉声」に再会して衝撃を受けながら、重い口を開く関係者、遺族の感慨だ。著者が録音盤と出合ってから三十年近いという。ねばり強い取材に、頭が下がる。(2008・2)
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