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February 24, 2008

「本泥棒」

リーゼルは最初の棚に沿って手の甲を走らせ、それぞれの本の背表紙に爪があたるときの音に耳を傾けた。楽器のような、あるいは走っている足音のような音がした。今度は両手を使ってみた。両手を走らせた。ひとつの棚ともうひとつの棚に。それからリーゼルは声を出して笑った。

「本泥棒」マークース・ズーサック著(早川書房)  ISBN:9784152088352 (4152088354)

ナチス政権下のミュンヘン郊外。貧しい里親に預けられた少女、リーゼルは小さな本泥棒だったーー。

ブロガー絶賛の小説を読んだ。この物語は、お風呂で読むには向かない。680ページものボリュームのせいではない。一つひとつの章が短くてテンポが良く、なにより面白くて、つい長風呂になってしまうのだ。

著者は75年生まれと、意外に若いオーストラリア人。物語のベースには、独裁政権当時の史実や、著者がドイツとオーストリア出身の両親から聞いたという戦時下の悲劇がある。しかし、戦争の悲惨さ、人類の愚かさを声高に訴える印象はない。
むしろ、リーゼルが本を盗み出すときのどきどきする感じや、やんちゃな親友ルディとのほのかな恋が、爽やかに胸に染みる。そして、心優しいアコーディオン弾きの養父、たんすみたいな体型の、口の悪くて料理が下手な養母、打ちのめされてもリングに立ち続けるユダヤ青年らとリーゼルとの、たどたどしいけれど深い交流。

どうしてこんな名場面を思いつくのだろうと唸るような、みずみずしいエピソードがたくさん出てくる。閉塞した地下室で、リーゼルが生き生きと独創的な言葉で外の天気を語る場面。それから町長夫人の書斎で、棚いっぱいの本に出会って、ただその存在に喜びがこみ上げる場面…。
青年は、「わが闘争」のページを白く塗って、その上にほんものの自分の闘争について書き綴る。泣けた。言葉は、人をどうしようもなく誤らせることもあるけれど、人を支えることもあるのだ。ちっぽけで、ぼろぼろになっていても、決して折れない人の尊厳を。入江真佐子訳。(2008・2)

「本泥棒」マークース・ズーサック/入江真佐子訳  本を読む女。改訂版
本泥棒〔マークース・ズーサック〕  まったり読書日記
本泥棒(マークース・ズーサック)   りぼんの読書ノート
語るに忍びざるもの~『本泥棒』をめぐって・その2     読書地図


February 22, 2008

「盗聴 二・二六事件」

翌朝の討伐開始を前に、反乱軍への説得や、情報偵察の電話が頻繁に行き交い、早朝にかけて五分刻みに電話の傍受もなされているというタイミングをはかって、すでに獄中にいる北一輝の名を騙った何者かが、「幸楽」の安藤のもとへ電話を入れたのである。通話が傍受・録音されていることを十分に意識した上で。

「盗聴 二・二六事件」中田整一著(文藝春秋) ISBN:9784163688602 (4163688609)

NHKのライブラリーから発掘された二十枚の録音盤。そこには二・二六事件進行中の東京各地における、電話の傍受記録が残されていた。

文章がたいへん読みやすく、ぐいぐいと引き込まれた。著者はNHKで昭和史ドキュメンタリーを手がけた元プロデューサー。映像が本職ゆえだろうか。大量の文献、捜査・裁判記録などをふまえながらも、くどい引用や解説はない。
明晰、簡潔な筆致で描かれるのは、録音盤に刻まれた事件当事者たちの「肉声」だ。掃討を覚悟して、無念を噛みしめながら知人に別れを告げる青年将校。あるいは夫の苦境を知らず、やりとりに明るささえ感じさせる山下奉文少将の妻。声がもつ圧倒的な存在感が、くっきりと浮かび上がる。

「盗聴なんかやったばっかりに」。実際に傍受に携わった人物が長い年月を経てもらす、悔恨の言葉が痛切だ。法を踏み越えた捜査が実行された背景には、クーデターという未曾有の危機に対応し、素早く施行された戒厳令があった。それは事件の鎮圧と事後処理を主導した軍部が力を持ち、やがて独裁へと突き進んでいく導火線にみえる。

歴史の転換点における軍内部の暗闘、謀略や、外国大使館に入り込んで状況をみつめるスパイの活動など、スリリングな場面も多い。何より印象的なのは、「肉声」に再会して衝撃を受けながら、重い口を開く関係者、遺族の感慨だ。著者が録音盤と出合ってから三十年近いという。ねばり強い取材に、頭が下がる。(2008・2)

旧刊案内『盗聴 二・二六事件』  読欲

February 13, 2008

「メディチ・マネー」

皮肉屋のコジモ・デ・メディチは言った。「長さ二反の赤い布があれば、名士がひとり作れる」

「メディチ・マネー」ティム・パークス著(白水社)  ISBN:9784560026236 (4560026238) 

15世紀フィレンツェで、一介の商人から支配者にのし上がったメディチ家五代。英国の作家が、その成功と苦難を数々の史料から読み解く。

高金利が背徳とみなされていた時代に、いかにして金融業が地位と権力を手にしたか。もちろん論点は違うけれども、「ファンド資本主義」とか「カジノ経済」といった、マネーに対する今日的な不信、不快感に一脈通じるテーマである。金は単なる価値のものさしに過ぎないはずだけれども、えてして「実体」を振り回す、不実な厄介者になりがちだ。

近代へのとば口で、国際的な金融グループを経営したメディチ家の男たちは、その富と「交換の技法」を駆使して権威ある教会を丸め込み、投票さえも操って政治的な地歩を固めていった。と同時に、慈善事業を「神の勘定」として誇らかに帳簿にしるし、才能ある画家のパトロンとなって自らの肖像を聖画に残した。著者は結論を急がず、こうした善と悪、本音と建て前が交錯する銀行家の横顔を丹念に、人間くさく描いている。

「金は無限の数の主人に仕えることができる。(略)価値は目立たない中立の単位に分割され、どんな杯にも流れ込み、金貨の雨はどの金庫にも降り注ぐ」ーー。そもそも金そのものには、善も悪もないのだ。文脈はやや難解だが、マネーとはこんなにも昔から怪物めいていたのかと思わせて興味深い。北代美和子訳。(2008・1)

メディチ・マネー  一冊たちブログ


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