「赤朽葉家の伝説」
じつのところ、わたしは本当はべつの名をつけられるはずであった。曾祖母に当たるタツが、生前に決めていたのである。毛鞠が赤子の名を瞳子として届け出て、しばらく後のことだ。万葉がタツの部屋に入り、遺品をいつくしむように抱き、一つ一つ丁寧に整理していると、一枚の半紙が出てきた。タツの書いた丸っこい文字で、おおきくこう書かれていた。
“自由”。
「赤朽葉家の伝説」桜庭一樹著(東京創元社) ISBN:9784488023935 (4488023932)
鳥取の旧家三代。予知能力を持つ「辺境の人」・万葉と、レディースの「頭」から人気漫画家へ波瀾万丈に駆け抜ける毛鞠、そして平凡に現代を生きる瞳子を軸に織りなす、女の昭和・平成史。
話題の作家の旧作を、ようやく読んだ。ひとことで言えば血と血の物語。死者の流した血と、その血を受け継ぎ、つないでいく家族の物語だ。次から次へ、男も女も個性的な人物がたくさん出てきて、「鞄」とか「孤独」とか無茶な名前をつけられ、それぞれにちっぽけに、だけど懸命に生きる。あるブロガーが「ジョン・アーヴィングっぽい」と記してらしたけれど、まさにそんな感じで、かなり好き。
印象的なシーンが多い。万葉と親友のみどりが、山奥で迷いつく「鉄砲薔薇」の渓谷。その秘密の「墓地」でたいせつな人に別れを告げ、やけっぱちのようにジョン・レノンの「イマジン」を唄いながら帰途につく。過酷な運命を受け入れ、日常に帰っていく二人に胸が締め付けられる。
舞台設定も象徴的だ。海から「だんだん」の坂をずうっと登ったところにそびえ立つ赤朽葉の屋敷と、一族が経営する製鉄業の溶鉱炉は、成長のシンボル。だが、その偉容ゆえに、ピークを過ぎて朽ちていくさまは寂しい。朽ちていくものとは地方の文化だったり、「ものづくりニッポン」だったり、人々の熱い思いだったりする。
ここからはネタバレになるが、お許しを。最も唸ったのは、最後の瞳子の章だ。戦後から現代までを勢いよく読んできて、終盤に至って初めて、ふと立ち止まる。そして、この無類に面白い一族の歴史が、あくまで口承を受け継ぐ瞳子の一人語りであったことに気づくのだ。きらびやかな伝説を語りながら、自らは語るべき物語を持たない瞳子という存在の、なんと心細いことか。今は豊かで「自由」だけれど、祖母や母に比べると、存在にどこか「芯」がない。そんな頼りなさを噛みしめる。でも、希望はあるのだ。300ページを一気に疾走した後の、静かなラストが心憎い。日本推理作家協会賞受賞。(2008・1)
赤朽葉家の伝説/桜庭一樹 徒然書店
「赤朽葉家の伝説」桜庭一樹 本を読む女。改訂版
追記:民俗学者、谷川健一は著作「青銅の神の足跡」で、金属精錬と「目一つの神」のゆかりについて論じているそうだ。知らんかったです。イメージが深いなあ。