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January 31, 2008

「赤朽葉家の伝説」

じつのところ、わたしは本当はべつの名をつけられるはずであった。曾祖母に当たるタツが、生前に決めていたのである。毛鞠が赤子の名を瞳子として届け出て、しばらく後のことだ。万葉がタツの部屋に入り、遺品をいつくしむように抱き、一つ一つ丁寧に整理していると、一枚の半紙が出てきた。タツの書いた丸っこい文字で、おおきくこう書かれていた。
 “自由”。

「赤朽葉家の伝説」桜庭一樹著(東京創元社)    ISBN:9784488023935 (4488023932)

鳥取の旧家三代。予知能力を持つ「辺境の人」・万葉と、レディースの「頭」から人気漫画家へ波瀾万丈に駆け抜ける毛鞠、そして平凡に現代を生きる瞳子を軸に織りなす、女の昭和・平成史。

話題の作家の旧作を、ようやく読んだ。ひとことで言えば血と血の物語。死者の流した血と、その血を受け継ぎ、つないでいく家族の物語だ。次から次へ、男も女も個性的な人物がたくさん出てきて、「鞄」とか「孤独」とか無茶な名前をつけられ、それぞれにちっぽけに、だけど懸命に生きる。あるブロガーが「ジョン・アーヴィングっぽい」と記してらしたけれど、まさにそんな感じで、かなり好き。

印象的なシーンが多い。万葉と親友のみどりが、山奥で迷いつく「鉄砲薔薇」の渓谷。その秘密の「墓地」でたいせつな人に別れを告げ、やけっぱちのようにジョン・レノンの「イマジン」を唄いながら帰途につく。過酷な運命を受け入れ、日常に帰っていく二人に胸が締め付けられる。

舞台設定も象徴的だ。海から「だんだん」の坂をずうっと登ったところにそびえ立つ赤朽葉の屋敷と、一族が経営する製鉄業の溶鉱炉は、成長のシンボル。だが、その偉容ゆえに、ピークを過ぎて朽ちていくさまは寂しい。朽ちていくものとは地方の文化だったり、「ものづくりニッポン」だったり、人々の熱い思いだったりする。

ここからはネタバレになるが、お許しを。最も唸ったのは、最後の瞳子の章だ。戦後から現代までを勢いよく読んできて、終盤に至って初めて、ふと立ち止まる。そして、この無類に面白い一族の歴史が、あくまで口承を受け継ぐ瞳子の一人語りであったことに気づくのだ。きらびやかな伝説を語りながら、自らは語るべき物語を持たない瞳子という存在の、なんと心細いことか。今は豊かで「自由」だけれど、祖母や母に比べると、存在にどこか「芯」がない。そんな頼りなさを噛みしめる。でも、希望はあるのだ。300ページを一気に疾走した後の、静かなラストが心憎い。日本推理作家協会賞受賞。(2008・1)

赤朽葉家の伝説/桜庭一樹   徒然書店
「赤朽葉家の伝説」桜庭一樹      本を読む女。改訂版

追記:民俗学者、谷川健一は著作「青銅の神の足跡」で、金属精錬と「目一つの神」のゆかりについて論じているそうだ。知らんかったです。イメージが深いなあ。


January 30, 2008

「繁殖」

「食中毒なの?」
 惨めな気分でうなずいた。それと同時に、電話が鳴った。野村が素早く受話器を上げた。
「はい、分かりました。保健所へは私どもから……」
 野村の声がどこか遠くから聞こえてくるようだ。胃の辺りが絞られるように痛んだ。

「繁殖」仙川環著(小学館文庫)   ISBN:9784094082302 (4094082301)

楽しい幼稚園での食事会が暗転した。子供たちが次々に、嘔吐や腹痛に見舞われたのだ。しかも単純な食中毒ではないらしい。苦悩する教諭の聡美と、恋人の桧垣。

「小さな物語」だ。環境問題やバイオテクノロジーを背景にはしているが、驚異の技術とか息詰まるアクションは登場しない。結末の「納め方」もちょっと消化不良。代わりに、登場人物たちの目の前にいる恋人や妻子への思いが、丹念に描かれる。可愛い子供たちの写真を使ったカバーの印象がぴったり。

「医療ミステリー第3弾」と銘打っているものの、そういうシリーズ感はあまりない。もしかしたら、何か全く違ったタイプの物語への、小さな助走なのか。たて続けに発刊となる次作が気になる。(2008・1)

January 23, 2008

「グロテスク」

『あなたもあたしも同じ。和恵さんも同じ。皆で虚しいことに心を囚われていたのよ。他人からどう見られるかってこと』

「グロテスク」桐野夏生著(文藝春秋)  ISBN:9784163219509 (4163219501)

昼は一流企業勤務、夜は街娼。淀みの底で命を落とした女性と、彼女を取り巻く人々のモノローグ。

題材になっている事件は、参考文献にもある「東電OL殺人事件」(佐野眞一著)などで、あまりに有名。女性心理や冤罪の疑惑について、いろいろと語られてきた。そのうえ小説のなかの登場人物はみな、徹底して救いがないというか、出口がない。2001年から2002年の連載中に週刊文春で読んだという知人の男性は、ひとこと「胸が悪くなった」と感想を漏らしていた。

だが今回、500ページ以上の厚さを案外、苦にせず読んだ。確かに暗いし後味も最悪だが、気分はむしろ淡々としていた。かなり覚悟していたせいなのか。間違いなく言えるのは全編を通して、何かを解き明かそうとか、女性に共感しようとか社会を非難しようとか、そういう「狙い」があまり感じられなかったということ。

容貌、優秀さ、豊かさ、理想のライフスタイル。そういう足枷って、実はありふれたものではないか。これだけの異様さをしつこく描きながら、「普通」という強靱な軸を感じさせる。この作家の並々ならぬタフさを、改めて思う。泉鏡花文学賞受賞。(2008・1)

「グロテスク」桐野夏生 本を読む女。改訂版

January 17, 2008

「その数学が戦略を決める」

熟したブドウは柔らかい味の(酸味の少ない)ワインを作る。濃いブドウはフルボディのワインを作る。
 オーリーは無謀にもこの理論を方程式にまでしてしまった。

ワインの質=12.145+0.00117×冬の降雨+0.0614×育成期平均気温-0.00386×収穫期降雨

「その数学が戦略を決める」イアン・エアーズ著(文藝春秋)  ISBN:9784163697703 (4163697705)

兆単位(テラバイト)のデータ集積と、データ同士の意外な相関関係を割り出す「絶対計算」が、「専門家」たちの経験と直感を凌駕。意志決定の新たな地平を描く。

エール大で経済と法律両方を研究する著者が、数多くの事例と研究者たちの横顔を通じて説く「絶対計算」の有効性。例えば航空券の「買いごろ」を教えてくれるサイトが紹介されている。大量の価格データと、燃料価格や気候やフットボールの優勝チームといった因子から値動きを予測。すぐに買うべきか、もう少し待ったら投げ売りされそうか…。さらに、それぞれの予測にどれくらい自信があるかも示して、予想が外れた場合に備えて「保険」まで売っている、というから本当にすごい。

ネット時代の大規模なデータマイニング、無作為抽出が、一見関係なさそうな要因同士の相関(因果ではない)を見つける「回帰分析」やニューラルネットワークに力を与えた。私が読んだ本でいうと、「ヤバい経済学」と「プロファイリング・ビジネス」のその先、という感じ。例の、試合データの不自然さだけから八百長がわかってしまう、とか、クレジットカードの使い方から離婚の可能性が予想できる、とかいう、あれだ。
ひょっとしたら、あなた自身が気づいていない「あなたのしそうなこと」さえ言い当てる。その威力を知るのは、読んでいてかなりエキサイティング。絶対計算を駆使すれば、情緒に流されず、失業対策などでもちゃんと効果がありそうな政策に税金を投じることができるというわけだ。回帰分析については「希望学」(玄田有史編著、中公新書ラクレ)で解説していたのを思い出した。

ただ、この本が少し恐ろしく思えてくるのは、医療や裁判への応用も、もはや止めようのない流れだ、といったあたりから。
医師がきちんと手を洗うことの効果をデータで立証でき、それで患者が助かるのなら、もちろんデータを活用すべきだろう。でも、データから再犯のリスクをはじいて、何の裁量の余地もなく犯罪者の扱いを決める、というアイデアにはどうしても抵抗を覚えてしまう。それは、かけがえのない「個」の命や生活の質や人生の可能性の判断を、統計と確率にゆだねることへの素朴な違和感だ。そういう「情緒的」な受け止め方こそを、著者は排除したいのだろうけれど。

終盤では著者もデータの限界を視野に入れ、経験や直感との補い合いに言及している。確かにデータを知らないよりは、知っている方が断然いい。問題は、そこから何について読み取り、どんなことを決めるか。実に頭を刺激される一冊。章ごとに挟んだ箇条書きのまとめが、「細切れ読書派」には便利だ。おなじみ山形浩生訳。(2008・1)

面白くて、恐ろしい「その数学が戦略を決める」  わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる


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January 04, 2008

「勝利」

かんばしくない評判はどうであれ、彼はまちがいなく私を救ってくれたのだし、私は一種風変わりな意味で、彼がかほど手助けしてくれたことに誇らしい気持ちを味わった。
 彼は、私が一人で何とかなるのを見届けると、鋭い目つきで私の目を見つめた。私がそこに見たのは、友情とまではいかないが……ある意味で……一種の認知だった。

「勝利」ディック・フランシス著(ハヤカワ・ミステリ文庫) ISBN:9784150707408 (4150707405) 

大障害レースの落馬事故で、一人の名騎手が命を落とす。死の直前に一本のビデオテープを託された親友のガラス工芸家ローガンは、なぜか強盗に襲われる。

旅行のお供にと、積読の山から持参して、さくさく読んだ。競馬シリーズ39作目、そして高齢の著者が一時引退を宣言した節目の一冊である。と同時に、私個人としてはシリーズでほとんど著者同様の存在である、菊池光氏の翻訳最終作。
このコンビによる独特の「フランシス節」を、福井健太氏が解説で「職人の仕事」と描写していて、まさにそんな感じ。ストーリーは、まあ地味なんだけれど、自らの知性とかタフさに誇りをもって階級社会を生き抜く登場人物たちと、そんな「プロ同士」が短いやりとりで互いを認め合うシーンが印象的だ。
それにしても目標のシリーズ再読、いつになることやら…(2008・1)

ディック・フランシス全プレイバック  全読書リプレイ

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