「その日」
「惚れて惚れぬいた女が、信ちゃんを思うあまり、なにもかもうち捨てて守りにきたんだよ。冥利に尽きようぜ。ここは黙って、守ってもらうのが男だと思うがな」
「参った。ぐうの音も出ないや」
「その日」杉本章子著(文藝春秋) ISBN:9784163264004 (4163264000)
幕末の江戸を襲った安政の大地震。呉服太物店美濃屋の若旦那、信太郎と許嫁おぬいを取り巻く「その日」前後の人模様。
「信太郎人情始末帖」シリーズの6作目。実はシリーズと気づかずに初めて読み、人間関係を飲み込むのにちょっと苦労したのだけれど、それがさほど気にならないくらいに、丁寧な筆致にぐっと引き込まれた。
姑に何かと辛くあたられても、信太郎を思い抜くおぬい。誠意のない商人に毅然と立ち向かい、筋を通す信太郎。十歳の子どもに至るまで、登場人物が皆健気だ。市井の人々の、静かな覚悟がすがすがしい。
地震という特大のクライマックスはあるものの、全体にはむしろ淡々として、余白の多い文章。会話を主体に、少ない「説明」で、きちんと登場人物それぞれの心の揺れを伝える。愛おしいから腹が立ち、腹が立つけど愛おしいーー。
喜怒哀楽は裏表。もしかすると、近頃よく聞く「手軽に泣ける本」の対極に位置する一冊かもしれない。できればこういう風に、感情を噛みしめて暮らしたいものだなあ、なんて思ってしまう。黒地に百合の装丁も粋。(2007.12)
義理と人情!それは古くて新しい ~推薦本vol.15 日々これ精進

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