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November 26, 2007

「珍妃の井戸」

紫禁城の後宮には、中華皇帝をいつでも殺すことのできる人間がおり、理由と、方法とがある。まるで金色の波のように幾重にもうち続く壮大な宮殿の甍を思い出して、ソールズベリー卿はほんとうに青ざめた。

「珍妃の井戸」浅田次郎著(講談社文庫)  ISBN:9784062750417 (4062750414)

義和団事件で混乱する北京で、皇帝の寵愛を受けたひとりの妃が命を落とした。誰が珍妃を殺したのか。列強の高官4人が探索を始める。

「蒼穹の昴」から「中原の虹」に至る歴史ロマンの番外編的な一編。ミステリーの形式で、食い違う関係者の証言をつないでいく。
歴史の真実というものは、見るものの立場、思いによって変わる。そのことを、リアルな人物像を通して、くっきりと浮かび上がらせている。証言する人物たちは誰一人として、先入観通り、評判通りの人物ではない。裏切られる楽しさで、一気に読める。

それにしても、これを読んでから故宮に行けばよかった!(2007/11)

「珍妃の井戸」浅田次郎   Ciel Bleu

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November 23, 2007

「楽園」

「おかしな絵だったので、ハイ、わたし訊きました。これはどんな絵なのって。そしたら等、言いました」
 --お母ちゃん、これ、悲しいでしょ。この女の子は悲しいんだよ。ここから出られなくて、ずっとずっと独りぼっちだから。

「楽園」宮部みゆき著(文藝春秋)    ISBN:9784163262406 (4163262407)  ISBN:9784163263601 (4163263608)  

「模倣犯」から9年。フリーライター前畑滋子のもとに、事故死した12歳の男の子、等が残した絵について調査の依頼が舞い込む。それは、少年が見たはずのない事件の現場を描いていた。

2005年から2006年にかけて連載された新聞小説。サイコメトラーや、16年もの「死体との同居」といった劇的な舞台装置は揃っている。しかし、決して派手な印象はない。上下巻約750ページを費やしてじっくりと書き込まれているのは、端役に至るまで一人ひとりの外見、人柄、そして他人には話したくない「それぞれの事情」だ。筆致はあくまで地道で、手抜きがない。
この膨大な力技があるから、平凡な人々を巻き込んだ悲劇が実感をもって伝わってくる。特に、事実を発掘していく滋子の取材シーン、相手に向き合うときの注意深い観察ややりとりが、なんとも緻密だ。

全編を通じて、様々な「母」の横顔が胸に残る。境遇はいろいろだけれど、総じてあまり幸福ではない。我が子と心が離れてしまったり、死なせてしまったり。特に終盤、真新しい校章が象徴する、母だからこその強さと悲しさが、切なく、やりきれない。
安易なハッピーエンドではないが、読後に息苦しさは残らない。思い出のなかで語られる、不思議な絵を残した少年の存在が大きいのだろう。彼の無垢な優しさが、ずっと物語の底に流れている。生真面目に犯罪を描きながらも失われない、普遍的で温かい視点が、この作家の魅力だと改めて思う。(2007・11)

楽園:宮部みゆき  ミステリの部屋

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November 21, 2007

「映画篇」

「夜の川って怖いよね」僕は川面を見ながら、言った。「いつゴジラが出てきてもおかしくないように見えるよね」
 龍一は慌てて上半身を起こし、川面をじっと見つめた。
「ほんとだ。すげぇ、こえー」
 龍一はそう言って、楽しそうに足をばたつかせた。そして、いったん堤防を下り、手のひらの大きさほどの石を近くから拾ってきたあと、出て来いゴジラ! と叫びながら、川に向かって石を思い切り投げた。

「映画篇」金城一紀著(集英社)  ISBN:9784087753806 (4087753808)

映画をテーマにした連作。夏休みの最後の日、ある町の区民会館で開かれた「ローマの休日」上映会で交錯する人間模様。

ドラマ「SP」の脚本で、また話題をまいている作家の書き下ろしを読む。そういえば子供のころ、初めてまともに映画館で観たのは「ロッキー」だった。読み進むうち、大きなスクリーンで観た、あの「負け試合」の感動が蘇ってきた。友だちに夜中に電話して、好きな映画について夢中で話す。連作全体に流れる、そんなストレートでくすぐったい感触が、まず魅力的だ。

若者の逃避行から家族愛まで、1作ごとに設定はいろいろ。ストーリーとしては、「甘い」といえるかもしれない。でも、登場人物の誰もが、何かに向かって闘おうとし始めているから、読後感が明るい。「GO」を読んだとき、「僕は勉強ができない」(山田詠美著)と並んですべての中学生の必読書だと思ったものだけど、1968年生まれで、みずみずしさが全く衰えていないのは、すごいことではないいだろうか。自転車に乗るシーンが目立つのも、いい感じだ。

それにしても、ブロガーが皆さん触れているのは、作中で繰り返し出てくる「有名な賞をとっているけど、ものすごくつまらないフランス恋愛映画」。何だろう? 観たいとは思わないけれど、気になる… (2007.11)

「映画篇」金城一紀  ナナメモ
映画篇 金城一紀   粋な提案

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November 18, 2007

「夜明けの街で」

 大黒埠頭のパーキングエリアに秋葉はボルボを止めた。土曜日の夕方なので、駐車場は混んでいたし、レストランもいっぱいだった。
 僕たちはハンバーガーと飲み物を買い、埠頭を眺められる広場に上がった。雨はすっかり上がり、空気もひんやりとしていて気持ちがよかった。
 あっ、と秋葉が空を指差した。そちらに目を向け、おっと僕も声を漏らした。短い虹がうっすらと出ていた。
「虹を見るなんて何年ぶりかな……」

「夜明けの街で」東野圭吾著(角川書店) ISBN:9784048737883 (4048737880)

建設会社の主任で、家庭ではよきパパの渡部が、職場にやってきた派遣社員の秋葉と思いがけない恋に落ちる。秋葉の家庭では15年前、ある殺人事件が起きていた。

ドラマ「ガリレオ」でまた注目されている作家の最新作を読む。不倫の話である。ミステリーとしては、あえて言えば、さほど意外ではない。まあ、不倫の経緯だってそう意外ではないのだが、その分、不倫のプロセスの男性心理を描写する技が際だつ。
「もう若くない」と自覚しているから、そこを逆なでしてくる女性が気にかかる。二人でいるとき、突如意味不明に泣き出されて、放っておけないと思う。特に後半、恋心と疑心暗鬼や保身との間で行きつ戻りつするさまが、作家の才気を感じさせる。秋葉がよく、黒い服を着ているのも何だか意味深だ。

「秘密のデート」の舞台は横浜。タイトルからして全編、サザン・オールスターズのヒット曲をモチーフにしているようだ。物語中のカラオケのレパートリーにも登場、サザンは「中高年」の象徴なのだなあと、再確認して感慨を覚えたりする。

末尾にわざわざ「番外編」として、友人のモノローグが付け加えられている。この物語の主題が謎解きではなく、不倫の心理のほうにあることを念押ししているかのようだ。んー、東野さん、何かあったんでしょうか… (2007・11)

「夜明けの街で」東野圭吾  ナナメモ

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November 15, 2007

「有頂天家族」

「ああ、どうしよう矢三郎。我が一族の頭領、兄さんの絶体絶命の危機だというのに、俺はなんだか妙に面白くてしょうがないよ。ふざけたことだなあ」
「かまわん、走れ兄さん。これも阿呆の血のしからしむるところだ」

「有頂天家族」森見登美彦著(幻冬舎)   ISBN:9784344013841 (4344013840)

京都・糺ノ森に住む狸の下鴨一家。脳天気な三男坊、矢三郎は絶体絶命の母と兄を助けるべく、狸界の覇権を狙う宿敵・夷川一家や、狸鍋を食う「金曜倶楽部」を向こうに回して、師走の古都を疾走する。

楽しみにしていた痛快ファンタジーを読む。語彙が豊富で、ところどころ美文調なのが、まず心地いい。「しからしむるところ」なんて、声に出そうとしても舌が回らないけれど、リズムがいいから軽快に読み進められる。

設定は、まあとにかく、腹をくくって荒唐無稽だ。愛すべき狸と天狗、人間(「半天狗」含む)が、ほぼ同等の立場で入り乱れる。「はちゃめちゃ」と思わせておきながら、その実、軸にあるのは今時まっすぐな家族愛だ。そこに師弟の信頼や、淡い恋心もからまり、端役に至るまで、きっちりとそれぞれの人情を描く。それでいて、ちっとも説教臭くないのが肝心なところ。うまい、と唸るほかない。

特に印象的なのは、飛翔シーンの爽快さだ。要所要所で登場人物が、思い切りよく夜空を飛ぶ。眼下には五山の送り火やら、賑わう年末の街やらの美しい明かりが瞬く。ストップモーションが目に浮かぶような、垂直移動の開放感。ちょっと宮崎アニメを彷彿とさせる。
飛んでいるうちに、なぜ飛んでいるのかを忘れ、もっと飛びたくなってしまうのは、なにも思慮が足りない狸ばかりではないだろう。(2007・11)

「有頂天家族」森見登美彦    しんちゃんの買い物帳

有頂天家族 森見登美彦  今更なんですがの本の話

有頂天家族 森見登美彦   粋な提案

「有頂天家族」 森見登美彦  本を読む女。改訂版

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November 08, 2007

「プロファイリング・ビジネス」

 わたしたちが電子的にビジネスをすればするほど、町から町へと転々とすればするほど、仕事を変えれば変えるほど、知り合いが少なくなればなるほど、わたしたちの人生のなかからは、過去のような人間同士の絆は薄れていった。
 そして今では、「わたしたちというもの」、わたしたちのアイデンティティを形づくるのは、数千台のコンピュータにちりばめられた「データエレメント」という情報単位に過ぎなくなっている。

「プロファイリング・ビジネス」ロバート・オハロー著(日経BP社)    ISBN:9784822244651 (4822244652)

ワシントン・ポスト紙記者が、丹念な取材で描き出す「個人情報産業」の興隆と、監視社会の現実。

数十年ぶりに小学校の同窓会を開こうとすれば、現在の連絡先がわからない人がクラスに何人かはいる。進学した中学、高校に問い合わせても、手がかりを教えてはくれない。個人情報保護を励行しているからだ。ところが、ふと思いついてネットの検索窓に彼(彼女)の名前を入力し、それらしい人の勤め先が載っていたのでオフィスに電話したら、見事に本人に行き当たったりする。

このノンフィクションには、顔認識やICタグなど、ドラマ「24」ばりのハイテク話もたくさん登場する。しかし主役である「個人情報」の大半は、住所や氏名といった、ごくありふれたものだ。私たちは意図しないとはいえ、そうした情報を自分で「電子の海」にばらまいている。カードを使って買い物し、ケータイで自動改札を通り、ネットに日記を書く。
大量の「痕跡」は、マーケティングを担う企業の手で収集され、売り買いされ、分析される。プロの技をもってすれば、個々人の行動を追跡したり、変則的なふるまいを感知するだけでなく、やがては休暇をとる時期やら結婚が近いことやらの「予測」さえ、可能になるかもしれない。そうやって民間企業が得た情報を、安全と防衛のために政府がまるごと吸い上げるーー。
これが便利さと引き替えに、私たちが選んだライフスタイルなのだと、著者は静かに語りかける。出版は05年。今、事態はもっと、進展しているのだろうか。

情報産業のなかで、どちらかといえば地味に思える「プロファイリングベンチャー」の知られざる成功物語や、意外な政府とのつながり、特に9・11後の大きな変化を、語り部たちの横顔を交えながら生き生きとたどる。事実の厚みと、大変知的で感情に流されない筆致が誠実。カタカナを抑えた翻訳も読みやすい。(2007・10)

November 07, 2007

「逢わばや見ばや 完結編」

「古本屋って変らないでしょう? 昔のまんま。だから店に入ると、昔の自分がいるんだなあ。学生の自分が。見たくもない癖に、見たくなるんだよね」

「逢わばや見ばや 完結編」出久根達郎著(講談社)   ISBN:9784062137355 (4062137356)

自伝的小説シリーズの三作目。昭和48年、高円寺に古書店「芳雅堂」を開業してから、六十歳を過ぎた現在まで。

古本を持ち込んでくる、決して過去を語らない廃品回収業者や、顧客、同業者たちとの交流が温かい。一期一会も腐れ縁もとり混ぜつつ、誠実な人との付き合いを綴る。
著者独特の、飾り気のない筆致が相変わらず魅力。自らあと書きで、「何しろ小説家の筆であるから、差し障りのない嘘が多分に施されている」と告白しているように、これはノンフィクションではなく小説なのだろう。けれど、主人公の古本への愛着、そして古本屋としての誇りは100%真実だ。目録の体裁に工夫するくだりなど、商人としての努力も興味深い。(2007・10)

November 03, 2007

「烈風」

強情に歯を食いしばったクリスが九一九ヘクトパスカルでゆっくりと左に回り、わずかずつ下降した……さらに下がった……九一九で機首を安定させ、私は息を殺していた……
 九一八に達した瞬間に、私たちは雲から明るい陽光の中に出た。

「烈風」ディック・フランシス著(ハヤカワ文庫) ISBN:9784150707392 (4150707391)

気象予報士のペリイは、アマチュアパイロットの同僚と共に、ハリケーンの「目」の中を飛ぶ冒険に挑む。そのチャレンジ飛行は、意外な陰謀への扉だった。

お馴染み競馬シリーズの長編37作目。前半に起こるトラブルが、疑惑の発端になると同時に、終盤近くなって主人公が危うく難を逃れるシーンの伏線になっており、そのあたりの仕掛けの堅実さはいつも通りだ。

だが、どうも今回は、うまく乗れないまま読み終わってしまったというのが、正直なところ。自分でも原因がよく分からないのだが、珍しい結核とか、謎の「当局」の人物とかの存在が、わかりにくかった気がする。

なにしろ、37作目である。第1作の刊行が62年。もうそれだけで人生を感じる。長いシリーズの読者としては、1作ごとの魅力を味わうのも楽しみだけれど、読むことでなにかを見守っている気分がしている。菊池光訳。(2007・10)

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