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October 13, 2007

「いよよ華やぐ」

人はいつか死ぬ日のために生きるのであり、すべてのこの世の経験は、いつかそれを忘れる日のためにあるのかもしれない。

 阿沙はいつもの朝の甲斐々々しい気持ちになり、買い物袋とハンドバッグをひきよせ、部屋の扉を押した。
 鍵をかける時、まさかの時の用意に合い鍵を渡している薫のことを想った。珠子に聞いた宗二郎のことも気がかりだったが、それは後で考えようと、魚市場へ向ってさっさと歩きだした。

「いよよ華やぐ」瀬戸内寂聴著(新潮文庫)   ISBN:9784101144320 (410114432X) ISBN:9784101144337 (4101144338)

阿沙の波乱の人生と、九十歳を越えてなお、小料理屋のおかみ、そして俳人として生きる充実した日常。

寂聴作品をちゃんと読んだのは、実は初めて。ひと言で言うと「整理されていない」ゆえの魅力を味わった。それは時折目に触れるエッセイなどで、感じていたことなのだけれど。
阿沙の二度の結婚と、激しく長い不倫の恋を軸にしつつ、阿沙の娘や友人である八十代、七十代の女性らの様々な恋のかたちや、人生模様を描いていく。主語がどんどん入れ替わり、気まぐれにも思えるほどだ。そんな、自在な筆致に引き込まれた。

女たちはそれぞれに、愛に盲目となって周囲をひどく傷つけたり、別れた後になって取り返しのつかない思いにとらわれたりする。そういう情念やら、泥沼やらを胸に秘めているけれど、現在の暮らしはあくまで現実的で、その落差が印象的。自分に与えられた小さな城を守って、体が動く限り働いていく。役割を果たし、化粧を怠らず、着物や宝飾品を愛して銀座でスペイン料理を堪能する。あきれるほどの闊達さが、爽快に感じられてならない。

一つ一つのエピソードに必要以上に拘泥しない筋運びのせいなのか、長編だが、最後まで軽やか。ときおり阿沙のモデルである鈴木真砂女の句が織り込まれているが、その句が放つ天衣無縫なひらめきと、小説全体とが響きあう。彼女たちの恋や長寿は、常人である読者にはもちろん真似できるものではないけれど、読んでいるうちに誰にも覚えがある「間違いの多い人生」というものを、肯定する気分になる。(2007・10)

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