« May 2007 | Main | August 2007 »

July 31, 2007

「泣き虫弱虫諸葛孔明」

「生命がかかったような大事な対局のときでも、そういう、勝負とは無関係な、無意味の位置に石を打てる者は、わしの知る限り唯一人」
「ほう、それが、おそらく問題の」
 と劉備がノると、龐徳公はガッと拳を突き出して、
「ご賢察の通りだ。諸葛孔明! やつは、必要があれば(いや、べつに無くても)碁盤の外の床の上に涼しい顔をして石を並べることも厭わぬ男である

「泣き虫弱虫諸葛孔明」酒見賢一著(文藝春秋)  ISBN:9784163234908 (416323490X)

清廉潔白、冷静沈着の知将、孔明。実は根拠不明の自信に満ちた、いけすかない奴だったのかも… 豊富な古典の知識と、軽妙な語り口で独自の解釈を展開する酒見版三国志。

吉川英治歴史時代文庫「三国志」全8巻(講談社)を読んだことがある。改めてひっくり返してみると、「序」の書き出しはこうだ。「三国志は、いうまでもなく、今から約千八百年前の古典であるが、三国志の中に活躍している登場人物は、現在でも中国大陸の至る所にそのままいるような気がする」。
大陸で繰り広げられた戦闘劇は、日本がまだ卑弥呼の時代の昔のことなのに、今に至るも生き生きと光を放ち、その故事は私たちの生活に根を下ろしている。歴史としての壮大さ、ロマンの力だけではないだろう。暴れ回る英雄たちの人物の魅力、強さや過剰なまでの情熱、心意気に負うところが大きそうだ。

中でも「三顧の礼」は、一つのクライマックスともいえる著名な逸話。ここに著者はあえて疑問を差し挟む。なぜ劉備は、一見うだつの上がらない孔明に目を付けたのか? 会ったこともない彼を軍師に迎えるため、三度も足を運んだのか? ほかにも現代人の「常識」に当てはめてしまうと、英雄たちがとる行動は格好いいけれど、どうも納得いかないことが多すぎるぞ。
そんな割り切れない疑問に対する著者の回答は、主に三つ。「大昔だから」「中国だから」「登場人物が実は変人だから」。長編を読み進むうちに、この三つ目の理由の比重がどんどん大きくなっていき、物語は類い希なる変わり者同士の、ハイテンションな対決劇たる「三顧の礼」へとなだれ込む。

口調はあくまで講談調。難しい史書の解説なども、「のり」と「つっこみ」を間断なく繰り出して語っていくから、慣れない読者も躓くことはない。なんだか受験生に人気のある、著名塾講師みたいだ。驚くべき芸風。
荒唐無稽で、結構難解なところもあるのだけれど、独特のリズムにからめとられて思わず吹き出しながら読んでしまう。結局はそんな読者も、たぶん著者も、立派に主人公である孔明の術中にはまっているのだろう。なにしろケチな変人ではない。考えることは常に宇宙規模のスケールなのだから。「中国の話は、何でもだいたい日本の五倍規模」といったくだりに、妙に納得。(2007・7)

「泣き虫弱虫諸葛孔明」 酒見賢一  本を読む女。改訂版

July 27, 2007

「小説秦の始皇帝」

窮しているときは、平然と下手に出て相手の機嫌をとりむすぶが、志を得て成功すれば、人を軽んじ食い物にしてはばからないだろう。私は無位無冠だが、彼は私に会うとき、へりくだって応対する。
 秦王が天下を取れば、天下の人々はすべて彼の虜になってしまうだろう。ともに久しくつきあえば危険な男だ

「小説秦の始皇帝」津本陽著(角川春樹事務所)     ISBN:9784894569812 (4894569817)   

生い立ちから数奇な運命を背負い、苛烈な闘いの連続で統一中国を打ち立てた始皇帝の生涯。

満載の逸話は、読む人が読めば教養の範疇に入るのだろうが、不勉強なので一つ一つ圧倒されながら読んだ。よく「白髪三千丈」というけれど、とにかく話のスケールが大きく、それがどれもこれも当たり前のように、淡々と綴られる。戦闘シーンなどでさらりと「四十万人を生き埋め」とか。導入部分の親子の愛憎も、どろどろした内容なのに修飾語を多用しない。

むしろ行数を割いているのは、臣下が王を説得する術だ。始皇帝は鋭い眼力で有能な人物を見出して登用し、すぐれた法治国家、中央集権国家を築き上げた。しかし上に立つ者は、えてして冷酷。仕える側からすると、支配者に疎まれず長く生きのびるのは至難の業だ。そこに様々な歴史の悲劇も生まれる。

著者はそうした英雄の残虐や不徳を、さほど価値観を差し挟まず記していく。だからこそ統一の大事業を成し遂げた晩年、周囲に意見する人物もいなくなり、怪しげな「方子」の話に振り回されたり、自画自賛の碑をたてまくったりする愚かさが痛ましい。そして皇帝の死後、帝国はあっけないほど早期に瓦解の道をたどる。(2007・8)

July 21, 2007

「星新一 一〇〇一話をつくった人」

昭和二十二年生まれで当時まだ中学生だった荒俣は、この雑誌に漂う不良文化人たちの雰囲気にあこがれ、いつかこんな文章を書いてみたいと文体や言葉遣いを真似した。
「星さんはある種の、芥川龍之介なんですよ。芥川の場合は中国の古典を取り入れましたけど、星さんの場合はアメリカ文化のフレンドリーさとスノビズムを導入した。僕が読み始めたころの星新一はもう、才気突っ走るという感じでピカピカ輝いていた。なんといっても言葉遣いが新しいでしょう。誰でも書けそうだと思って真似して挑戦してみるけど、何本も書けないことはすぐにわかるんだよね。(略)」

「星新一 一〇〇一話をつくった人」最相葉月著(新潮社)   ISBN:9784104598021 (410459802X)

5年の歳月を費やし、130人以上へのインタビューで綴る異色作家の大作評伝。

星新一といえば小学生の高学年のころ、新潮文庫で夢中になって、作文を書くときちょっとフレーズを真似したりした。中学にあがると自然に読まなくなってしまったけれど、社会の行方、文明への鋭い視点が印象に残っていて、時々ふっと、断片を思い出す不思議な存在だ。

ショートショート1000作以上、文庫発行部数3000万部以上という実績に、まず圧倒される。評伝の中で大きな核となっている、日本SF黎明期の熱気が、高度成長へと駆け上る時代の記憶と響きあって興味深い。今でいえば「おたく」カルチャーの沸騰なのだろうか。小松左京と並んで、このジャンルを切り開いた星新一の新規性は、格好よくて爽快だ。

しかしSFであり、しかも見た目が軽いショートショート主体という独特の作風ゆえに、やがて世間は星に対して、一定のイメージを貼り付けてしまう。いわく、読者はあくまで子供であり、長じるに連れて「卒業」する作家である、と。そんな評価に煩悶しつつ、それでも身を削るようにして膨大なショートショートを書き継いでいった心のうちとは、どんなものだったのか。

父は製薬会社オーナーとして、また代議士として豪快に波乱の人生を送った人物。その存在はあまりに大きかった。御曹司の星は、若くして父の「負の遺産」を背負ってしまい、人間不信と孤独に苦しむことになる。そういう辛い体験をしつつも、物見高い性格や、何事も冷静に観察し、分析する態度は衰えなかった。特に終戦当日という歴史的な日に、宮城前に足を運ぶシーンが印象的。星を形作るこうした要素のどれ一つが欠けても、空前絶後の短編作家は誕生しなかっただろう。

冷静に事実をたどっていく人物ノンフィクションだが、それでもラスト近くになって、著者の思いがほとばしる。多くの読者が、かつての「星体験」と重ねて読むことだろう。550ページ超という重量が気にならない面白さだ。講談社ノンフィクション賞、日本SF大賞。(2007・7)

「星新一 1001話をつくった人」  「差不多」的オジ生活

星新一 一〇〇一話をつくった人  darjeeling and book

読者大賞blog

にほんブログ村 本ブログへ

「鹿男あをによし」

「奈良の高校だよ」
「奈良ですか?」
 おれは思わず声を上げた。ずいぶん遠いところである。
「僕はとてもいい話だと思うんだな。奈良といったら鹿だろう、大仏だろう。いかにも、ゆったりしてそうじゃないか。悠久の都の余韻や深し、心の余裕を取り戻すには最適だ」

「鹿男あをによし」万城目学著(幻冬舎)  ISBN:9784344013148 (434401314X)

産休補助として不本意ながら奈良の女子校に赴任した理科教師の「おれ」に降りかかる、災難と大冒険。それは鹿との出会いから始まった…

あれよあれよと、訳の分からない騒動に巻き込まれていく主人公の戸惑いぶりが、ユーモアあふれる語り口で畳みかけられ、読んでいて思わず笑みがこぼれるファンタジー。

それでいて古代史や神話の蘊蓄、関西観光地図を踏まえた仕掛けがたっぷりで、読み応えがある。なにしろ登場人物の姓が、藤原だの長岡だの、どこかで聞いた都の名前だ。奈良というおおらかな舞台装置が、ひょっとすると、こんな風に千年のスケールで何かが仕組まれているかも、と思わせて絶妙。

個人的には、にわか教師と教え子との交流がしっかり織り込まれているところに惹かれた。本当はきれいなのに、容貌にコンプレックスをもつ少女の鬱屈。それを吹き飛ばすように、スピード感あふれる剣道の試合のシーン。誰でも思い当たる「若い日々」が、荒唐無稽なおとぎ話を支えている。

登場するのは悪人なし、身勝手さえもお茶目なキャラクターばかり。楽しませてもらいました!(2007・7)

☆追記 08年1月玉木宏主演でドラマ化。

鹿男あをによし   香桑の読書室

鹿男あおによし 万城目学  ”やぎっちょ”のベストブックで幸せ読書!!

「鹿男あをによし」万城目学     本を読む女。改訂版

読者大賞blog

にほんブログ村 本ブログへ

July 01, 2007

「始皇帝陵と兵馬俑」

重心をかけるかかと部分とつま先部分に突起が多く、土踏まず部分に少ないのは非常に理にかなっている。地下の兵馬俑坑に入れる俑は、埋められた後は誰が見るものでもないのに、なぜここまでリアルに表現しなければならないのだろうか。

「始皇帝陵と兵馬俑」鶴間和幸著(講談社学術文庫)  ISBN:9784061596566 (406159656X)

始皇帝陵研究の第一人者が熱く語る、兵馬俑8000体という地下帝国の驚異と、最初の統一中国の姿。

壮大なスケールと共に、細部の描写が興味深い。例えば膝をついた俑の靴裏に施された、滑り止めの突起。現代にも通じる実用性と、きめ細かい表現力が読み取れる。2200年以上も前の技術と情熱に、ただただ圧倒される。

短命な「秦」の歴史をひもとくくだりは、地名などの知識がないと理解するのに難しいところも多々ある。しかし、面白さが減じるものではない。戦闘での騎馬の活用や、道路、治水など国家建設の試み。著者は、司馬遷らあまりに著名すぎる歴史家のフィルターを通さず、新たな発掘などから国家の実像に迫ろうとする。歴史を読み解く興奮は、ローマ帝国史も彷彿とさせる。

巻末に詳細な兵馬俑坑ガイド付き。(2007・6)

対談 「古代中国の魅力を語る」  ぱんどらの箱

「騎乗」

彼は優れた体力、知力で輝いている。自分の父ではあるが、私は彼のヴァイタリティによって力を与えられ、圧倒されている。
 ある意味では、心から彼を愛していた。
 ある意味では、父と同等の知力、精神力を身につけることは不可能だ、と思っていた。その必要がないことに気付くまで、何年もかかった。

「騎乗」ディック・フランシス著(ハヤカワ文庫) ISBN:9784150707378

17歳の障害騎手ベンはある日突然、厩舎を解雇される。待っていたのは否応なく、父ジョージの下院議員選を手伝う日々だった。

学生時代から読み続けている名作、競馬シリーズの36作目。おなじみ菊池光訳。久々に手にとったが、独特のどこかもったいぶった言い回しがとても心地よく、にこにこしながら読み進めた。

いつもの競馬界に加えて、今回は政界が主要な舞台になっている。選挙をめぐる中傷や暗殺工作。サスペンスのスピード感を維持しつつ、全編を通してこのシリーズで不変のテーマを静かに、しかし力強くうたい上げる。そのテーマとは人生の目標に確信を持ち、そのために努力を惜しまないということ、誠実、正義感、勇気、そして乾いたユーモアの大切さ。いわば理想の人格の物語。30作以上を重ねても揺るがない、まっすぐさが心地よい。

特に本作では十代の少年の精神的成長と、偉大な父との不器用だけれど温かい交流が、爽快な読後感につながっている。いくつになっても、こういう瑞々しさを失わない感性こそが、フランシスの魅力なのかもしれない。これまで読んだシリーズの感想も、随分時間がかかりそうだが、ぼちぼち書いていきたい。(2007・6)

« May 2007 | Main | August 2007 »