April 29, 2016

天才と名人

ふたりが盟友であることと、好敵手であることは矛盾しない。ふたりは本気で、競いあって生きてきたのだ。すべてを賭けて、競いあって生きてきたのだ。その葛藤は、彼らのこころのうちにあって、だれにもわからない。

「天才と名人」長谷部浩著(文春新書)

天性の華で広く愛された中村勘三郎、そして抜群の踊りの名手10世坂東三津五郎。著者は現代劇の視点から伝統芸能をカバーした評論家で、生前親交もあった。タイプは違えど、実力、人気とも梨園の中核を担ったふたりの芸の軌跡と素顔を、愛情をこめて綴る。

歌舞伎をよく観るようになって日が浅いのだけれど、読みながら2010年歌舞伎座さよなら公演で観た祝祭的な「助六」が甦った。ともに飄々と力が抜け、それでいて色気たっぷりだった通人里暁と福山かつぎ。盟友だったとしても、なにもまだ50代と、早すぎる死まで足並みを揃えなくてよかったものをと、悔しさを新たにする。

勘三郎は確かな芸の継承はもとより、野田秀樹らの新作、コクーン、海外公演まで、けた外れの情熱とプロデュースの才でファン層を広げ、時代を駆け抜けた。三津五郎も人気者だが、勘三郎に比べれば着々とポジションを固めつつ、華々しい親友の活躍を応援する立場。しかしその三津五郎が平成中村座に出ない理由を問われて、「同じ座元だから」と答えるところが感慨深い。
現代に生きるスターであり、互いに認めあう関係。それでも、それぞれ背負う江戸以来の「家」を意識しているし、覚悟を胸に秘めている。そのうえでの古典なのだなあ。(2016・4)

April 18, 2016

若冲

真に自分のためだけであれば、なにもこうまで細やかな絵を描かずともよかろうと思うのは、拙僧の勘ぐりかのう

「若冲」澤田瞳子著(文芸春秋)

奇想の絵師・若冲の生涯を、新田次郎賞作家が大胆な解釈で描く連作集。生誕300年記念で、代表作を一堂に集めた展覧会に出掛ける前に、手に取った。

にわか若冲ファンの私にとって最大の興味はやはり、「動植綵絵」30幅の成り立ちだ。ほぼ独学で絵師となった若冲が、どのようにしてあれほどに細密で、色鮮やかな、そして誰にも媚びない圧倒的な作品群を描きおおせたのか? 著者は記録に残っていない妻がいたと設定。その死に対する贖罪、さらには贋作者となった嫁の弟との確執を創造して、絵師の情熱の源を描いてみせる。

若冲といえば、京・錦市場の大店に生まれながら、若いうちに隠居してしまって、画業三昧に暮らした偏屈者なのかな、と思っていた。ところが最近、町年寄を務めて、市場閉鎖の危機回避に尽力したこともあると、わかってきたという。本作ではそうした研究成果を取り入れつつ、「動植綵絵」とは趣向の全く違う「鳥獣花木図屏風」や「石灯籠図屏風」などにも触れていてイメージが膨らむ。
同時代に生きた池大雅や円山応挙、谷文晁らの豊かな個性や、天明の大火の惨状もリアル。フィクションだけど、エキサイティングな展覧会の予習となった。(2016・4)

March 06, 2016

東京自叙伝

ドウ足掻いたって万事なるようにしかならぬと、根本のところで諦めて、とりあえず今がよけりゃいいと開き直りつつ、絶えず時流に棹さすのが自分の流儀と云えば流儀であるらしい。マアこの流儀は、私に限らず、世の多くの人士が密かに信奉実践するところでしょうが、どちらにしたところで東京は、と申しますか、日本はいずれ天変地異とともに滅び去るわけだから、あまり深刻に考えても仕方ありません。

「東京自叙伝」奥泉光著(集英社)

2014年に評判だった、幻想歴史小説とでも呼びたい、めくるめく一冊を電子書籍で。通り魔事件の犯人が、自分の正体は東京の地縛霊であり、輪廻転生を繰り返してきたと主張。長い長い供述というかたちで、幕末から大震災に至る都市の自画像を、ハイスピードで語っていく。史実をまるっと虚構にしてしまう、壮大な力技だ。

なにしろこの霊ときたら、時代時代に生きた人物に次々憑依して、常に重要事件に一枚かんでいる。維新やら開戦やら戦後復興やらバブルやら。影の大物っぽくて、途中まではなんだか痛快でさえある。
しかしそこは奥泉さんだ。すいすい読める軽妙なタッチに騙されてはいけない。この重要人物は徹頭徹尾、無責任でシニカル。社会をどこかへ引っ張って行こうという意志は微塵もないようで、その独白からは希望も理想も感じられない。そして行き付く先は、なんともやりきれない現実なのだ。

確かに私たちの土地は繰り返し、天変地異や災厄を経験してきた。希望をもとうとする努力は、長い目で見れば無駄でしかないのかもしれない。だからといって、いま目の前にある出来事に流されるままでいいのか? 終盤、東京の地縛霊が大増殖して、星野智幸「俺俺」を思わせるシーンが登場。すぐに大事なことを忘れちゃう群集を思わせて寒々しい。

書き始めたのは2011年だという。2度目の五輪なんかに沸いている場合じゃない、これが東京の素顔だ――。行間に作家の強い怒りが溢れる。怪作。(2016・3)

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February 26, 2016

記者はつらいよ

だんだん分かってきた。楽な仕事などないのだ。

「記者はつらいよ」仙川環著(ハルキ文庫)

著者お得意の医療ミステリーではなく、明るいお仕事小説の中央新聞坂巻班シリーズ3作目。ワークライフ・バランスを求めて、あまりハードでなさそうな企画部署に異動したのに、ニュース取材をするはめになって苦労してきた「平均点記者」の上原千穂が、今度は一面連載班に組みこまれて奮闘する。

部際プロジェクトのはずが、メンバーは所属部の利益にこだわってはじめから非協力的だったり、心の病を家族にも隠していたりと、トラブル含み。乗り込んできた、お馴染み超横暴なキャップの坂巻が引っ掻き回すうえに、上司はどうにも頭が固くて、企画内容に理解を示さない。結局、ものごとは合理的な判断というより、相変わらずの社内の駆け引きで決まってしまう。

働いていれば、思い通りにならないことは多い。引くべき時は引かなければならない。それでも諦めずに粘っていれば、手ごたえを感じることもある。誰もが経験する、普通に働くということを描いて爽やかだ。(2016・2)

February 25, 2016

GDP

国の経済全体の大きさを測る、という試みが初めて本格的におこなわれたのは、17世紀の戦争のときだった。

「DGP <小さくて大きな数字>の歴史」ダイアン・コイル著(みすず書房)

普段最も何気なく、あらゆる場面で使っている国の経済規模と成長率の統計。その成り立ちと限界について、英国財務省のアドバイザーなどを務めた経済学者が、数式を使わず平易にまとめた有難い本。経済書とは思えない洒落た白い装丁、150ページという軽さでさらさら読めて、検索も充実。

国の経済を測る、という試みは、戦費調達力、戦争遂行能力を判断する必要から生まれたというのが、まずびっくり。やがて計測とメカニズムへの理解が正しいのなら、経済、すなわち人々の豊かさというものは人為的にコントロールできるという概念が生まれた。いまや経済政策を考えるときの、基本の基本だろうが、意外に歴史は浅いのだ。
この10年だけでも、リーマンショックありギリシャ危機あり。ノーベル経済学者が束になって論争してさえ、経済というものは全然思い通りにいかない。それはGDPのせいではないだろうけど。なにせ統計を偽装して、国際的な支援を引き出しちゃおうとする政府があるらしいから。

もちろんGDP自体、実際には複雑な手順で組み立てた、いわば「仮想」の数値であり、その仮想が英サッチャー政権の誕生に深くかかわったり、歴史を左右しちゃうという割り切れなさを抱えている。さらに、その限界を感じさせる、より根本的な状況の変化が起きている。キーワードはITとサービスだ。
商品のカスタマイズとか、ネット上に氾濫する無料のサービスはイノベーションによって、かつてに比べて少ない資源で大きな価値を産みだしている。バリューチェーンは国境を越え、複雑に構築されている。20世紀生まれの統計は、こういう21世紀の経済の姿を、うまくとらえきれていない。このままでは各国の経済政策は、健康か病気かを正しく把握しないまま、いろいろ薬を投与しちゃっているようなものだ。

本書でGDPの課題を克服する道筋が、明確に示されるわけではない。とはいえアンケート頼みの幸福度のような、新機軸に組みしない著者の姿勢には個人的に共感を覚える。読みやすい訳は高橋璃子。(2016・2)

February 11, 2016

流(りゅう)

人間ってのはけっきょく、そうやってだれかに守られたり、守ったりして生きていくもんさ

「流」東山彰良著(講談社)

2015年上半期の直木賞受賞作にして、話題の長編を読んだ。北方謙三が「20年に1度の傑作」と評したのもうなずける、スケールの大きい、そして切ない冒険ミステリーだ。傑作。

台北に住む葉秋生(イエ・チョウシェン)が17歳だった1975年、愛すべき祖父・尊麟(ヅゥンリン)が衝撃的に殺害される。成長した秋生はひとり謎を追い、ついには祖父のルーツ中国山東省へ足を踏み入れていく。
「祖父にとって、あの戦争はまだ終わっていなかったのだ。だからこそ後生大事にあのモーゼルを磨きつづけていた。(略)大陸を出たときに止まってしまった祖父の時計は、大陸にガツンと一発お見舞いしてやらないかぎり、ずっと止まったままだったのだ」。賊徒集団と抗日戦争、凄惨な国共内戦、台湾への逃走と本省人との軋轢、言論統制。すぐ近くにあるのに、よくわかっていないアジアの現代史が、骨太に全編を貫く。

そんな歴史を踏まえた謎解きと並行して、台湾版「パッチギ!」と呼びたいような葉秋生のやんちゃな青春が語られ、疾走感いっぱいで、実に魅力的だ。
1960年代から80年代にかけての成長と混沌。悪ガキたちの友情や笑っちゃうほど無鉄砲な喧嘩沙汰、そして幼馴染で気が強い毛毛(マオマオ)との淡い恋がきらきらと眩しい。
まるで少年ジャンプ路線のはちゃめちゃを楽しむうちに、一族を貫く任侠スピリッツが胸に染みてくる。「人には成長しなければならない部分と、どうしたって成長できない部分と、成長してはいけない部分があると思う。その混合の比率が人格であり、うちの家族に関して言えば、最後の部分を尊ぶ血が流れているようなのだ」。アイデンティティの不安があるからこそ、圧倒的熱量が説得力を持つ。

印象的なフレーズがたくさんある。若い恋人同士の「わたしと毛毛を包んでいた透明でふわふわの膜がパチンとはじけ、喧騒がどっと流れこんでくる。わたしたちは火傷したみたいに、おたがいの手をふり払った」。危険を冒して中国に渡った際の「わたしは理解しはじめていた。この国は、大きいものはとてつもなく大きく、小さいものはあきれるくらい卑小なのだと」。隣国から観た日本の変遷も興味深い。(2016・2)

January 30, 2016

アメリカン・ゴッズ

「ご親切にどうも」
 飛行機はまた停止していたが、エンジンは飛びたくてうずうずしているかのように振動している。
「親切なものか」白っぽいスーツの男はいった。「きみに仕事を用意したよ、シャドウ」

「アメリカン・ゴッズ」ニール・ゲイマン著(角川書店)

上下巻で約900ページ。買ったまま、7年ほども積んでいたファンタジーをようやく読了した。模範囚シャドウが出所直後に、運行予定変更で偶然乗りこんだ飛行機。自分を知るはずもない隣席の老人ウェンズデイから、突然親しげに仕事を持ちかけられる。そこから始まる、不思議世界。

移民の国アメリカにはかつて、世界各地から人々が連れてきた神が息づいていた。いつしか忘れさられ、滅亡の危機に瀕した彼らが生き残りをかけ、テレビ、携帯といった物質文明の神に最終決戦を挑む…。というのがファンタジーパートのメーンテーマだ。
自分で買っておいてなんだけど、こういう独自のルールで展開していくファンタジーは苦手かなぁ、と敬遠していた。ところが読み始めると、現実パートがよくできたロードムービーを観るようで、すいすい読めた。

主人公は待ち望んだ出所寸前に、最愛の妻が自動車事故で死んだ、と知らされる。しかも親友と浮気していたという。いいしれない孤独に現実感があり、それが時代遅れになってしまった神々の寂寥と重なっていく。
帰るべき家をなくしたシャドウは、謎の老人ウェンズデイについて全米を旅することになる。ケチな詐欺を手伝ったり、湖畔の田舎町に身を隠して、おずおずと近隣の住民と触れ合ったり。このあたりの軽妙さ、温かさが巧い。
シャドウの道行は、いわば成り行きに身を任せたもの。しかし終盤では、抱いてきた社会への違和感の訳や、自身の父親探し、さらには田舎町で発生した失踪事件の謎解きに至る。この道具立てはロス・マクか、ジョン・ハートか?

ファンタジーパートのほうは正直、読み流しぎみだったけど、巻末まで進んだら登場する神や妖精の懇切丁寧な解説を発見。北欧神話、ギリシャ神話、古代エジプトやペルシア、インド、アメリカ先住民、お馴染み「リング」の世界も。それぞれにひと癖あって、個性いっぱいの面々です。知識とイメージがぎっしり詰め込まれてたんだなあ、と納得。金原瑞人、野沢佳織訳。(2016・1)

November 07, 2015

あなたは、誰かの大切な人

 ねえ永美。こうしてみると、けっこう、悪くないかもよ。結婚ってものは。
 かわいいもんよ。……男ってやつは。

「あなたは、誰かの大切な人」原田マハ著(講談社)

田中哲司、小栗旬というキャストにひかれて観た2人芝居「RED」。モチーフとなっていた現代美術家ロスコの「シーグラム壁画」に触れたくて、佐倉のDIC川村記念美術館まで足を運び、著者のトークイベントに参加。装丁に壁画を使った短編集を買って帰った。
本屋大賞第3位など、文学賞の常連だけど、意外に読むのは初めてだ。決して凝ってはいない平易な表現で、平凡な庶民の、しかし当事者にとっては平凡ではすまされない人生の岐路をしみじみ描く。

主人公はこつこつ働いて、それなりの年齢になった女性たち。ふと足をとめ、よく知っているはずの親や友を思うことで、改めて親子や夫婦の愛情というものを噛みしめる。誰にでも何かしら覚えがあるような感情が、泣かせます。美術館の「ロスコ・ルーム」も効果的に登場。
意地悪くみちゃうと、ベタなセンチメンタルとも言えるものの、旅先というシチュエーションが多いので、現実との距離がうまく調節されている。特に「皿の上の孤独」の、乾いたメキシコシティの風景が鮮やかだ。いつか行ってみたいものです。(2015・11)

September 27, 2015

短編集 赤い糸

「饅頭でも食え。とは冴えないセリフの大喜利だなあ」
「殿、せめての上のご分別」
「馬鹿っ口、飛ばすぜ」

「短編集 赤い糸」出久根達郎著(三月書房)

小型愛蔵本シリーズの2冊目。文芸誌やアンソロジー収蔵の短編に、書き下ろしを追加している。

江戸や大井川の渡しを舞台にした庶民の暮らし、そしてエイプリルフールにまつわる勝海舟邸での出来事が題材だ。
いつものきめ細やかな喜怒哀楽、大人っぽいほろ苦さ。さらには、ちょっとした会話の描写が味わい深い。あまり現代では耳にしない洒落や言葉遊びに、粋なリズムが宿る。(2015・9)

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August 16, 2015

クララ先生、さようなら

こんなことが起きるなんて、ぜったいだめだ。それも、自分のよく知っている、大好きな人に起きるなんて……。

「クララ先生、さようなら」ラヘル・ファン・コーイ著(徳間書店)

小学校中高学年向けの児童書だが、読みごたえがある。オーストリアの4年生、ユリウスとクラスメートたちは、大好きな担任のクララ先生が病に倒れて、死が近いと知らされる。衝撃を受けながらも、子供たちが選んだ最後の、最高のプレゼントとは。

親しい人の死という避けようのない、難しいテーマを、ごく日常のシーンから多角的に描いている。辛い思い出を抱えている母、別居中の父、老いをひししと実感している祖父、偶然出会った葬儀参列好きのおばあさん、そしてもちろん子供たちに愛され、苦しみながら子供たちのことを思いやるクララ先生……。それぞれ死というものと、ユリウスたちのとるべき行動に関する考えは違う。それを宗教的な解釈に走らず、丁寧に描いている。
何より、自分の頭で考え、行動しようとする子供たちが素晴らしい。大詰め、悲しみのなかで並木道を駆け下りるシーンが秀逸。
石川素子訳、いちかわなつこ絵。産経児童出版文化賞翻訳作品賞を受賞。(2015・8)

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