August 30, 2014

文芸誌編集実記

文芸誌を編集するという仕事は概してつまらないものだ。そのことにまつわる雑用や気の使い方があまりにも多いからである。

「文芸編集実記」寺田博著(河出書房新社)

吉本ばななや小川洋子ら人気作家を世に出した文芸の名伯楽が、1960年代の文芸誌編集の現場を振り返る。
著者は中途入社した河出書房新社で1962年、「文藝」の復刊に参加。のち編集長を務めた。回顧録の滑り出しでは、30そこそこの気鋭のエディターとして接した松本清張とか小林秀雄とか、大物たちの素顔を描いている。体験的文学史とでもいえそうな、行間にあふれるドキドキ感が、まず楽しい。

加えてリアルタイムで世に出る雑誌というスタイルは、どうしたって時代と切り結んでいくことになる。ヴェトナム戦争特集、江藤淳・吉本隆明対談、三島由紀夫「英霊の聲」など、いわば社会的事件との関わりを描いたくだりには、リアルな熱気がある。
もちろん編集者はプロデューサーとしての役割も担っているから、活字の大きさ、判型の選択から、1967年の会社更生法申請前後の苦難に至るまで、経営的な決断のエピソードも数多い。出版ビジネスの記録としても貴重だ。

のちに時代小説評論で知られるだけあって、著者の簡潔な筆致は、実に心地よい。淡々とした雰囲気にひたりながら読んでいて、「書き手自身の言葉や資質にそむくような借りものの文章は、結局嘘をつくことになる」といった、さらっとした一文に、はっとさせられる。
個人的に勉強不足のせいで意外だったのは、作家としての若き日の石原慎太郎、それから新聞の文芸評論の存在感が、実に大きかったのだということ。これが文壇というものだったのかなあ。著者と吉本パパとの並々ならぬ付き合いも発見だった。
巻末に87年「文藝」復刊二十五周年記念号での坂本一亀氏との対談を収録。(2014・8)

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August 23, 2014

スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 マクロ編

長期的に見てもっとも深刻なダメージをもたらしたのは、生産性上昇率の低迷です。
 生産性上昇率が1・5%下がったら、30年間でどれだけの差が出るかを考えてみましょう。
 複利効果を考慮しないで単純に30倍するだけで、45%もの損失になります。

「スタンフォード大学で一番人気の経済学入門 マクロ編」ティモシー・テイラー著(かんき出版)

米有名大の講義で、高い評価を受けているという学者による、経済学入門書を電子書籍で。経済成長、国際収支などおなじみの概念を材料に、経済学の発想で社会を観る目を示す。
特にインフレ率と失業率といった、指標のトレードオフの解説はわかりやすい。長期的な経済成長、自由貿易、財政規律など、オーソドックスな政策目標の意味あいを確認できる。各章に設けた用語解説が丁寧だ。池上彰監訳、高橋璃子訳。(2014・8)

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August 09, 2014

ドレスデン逍遥

波乱万丈の人生を歩む人がいるように、波乱万丈の過去を満載した建造物というものがある。たぶんこの聖母教会は、その優しいたたずまいの中にとりわけたくさんの物語を懐いている、世界でも稀な建造物の一つに違いない。

「ドレスデン逍遥」川口マーン恵美著(草思社)

夏のドイツ観光の予習として、ベルリンに続いてドレスデンの歴史ガイドを読んだ。「スローターハウス5」の印象が強い古都のドラマを、豊富な美しい写真とともに味わう。
やはり2次大戦時、美しい文化都市を徹底して破壊した爆撃の記録があまりに壮絶で、強い衝撃を受ける。しかしそれ以外の物語も、とても興味深い。
17世紀から18世紀にかけてザクセンを率いたアウグスト強王の、華麗過ぎる女性遍歴と、毅然として駆け引きしたコーゼル伯爵夫人の痛快さ。19世紀にヴェーバー、ヴァーグナーの作品を上演し、ドイツ文化の誇りを担ったゼンパーオペラ。
そんな都市の足跡を知れば、東ドイツ時代、長く廃墟のままだった聖母教会を巡る市民たちの複雑な思いも、少し理解できる気がしてくる。軋轢を乗り越え、平和の象徴、思想の自由の象徴として復元への気が遠くなるようなチャレンジが始まり、ドイツ統一後、ついに再建が果たされるシーンがなんとも感慨深い。(2014・8)

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July 27, 2014

ベルリン物語

壁はポツダム広場を分断しただけでなく、ベルリンを分断し、ドイツを分断し、そして、世界を分断した。

「ベルリン物語」川口マーン恵美著(平凡社新書)

ドイツ観光のお供に、ベルリンの歴史ガイドを読む。シュトゥットガルト在住の著者が、ドイツ帝国から2度の大戦、統一までの都市の歩みを綴る。
往時をしのぶランドマークを手掛かりにしているので、バーチャル散策という感じで楽しい。1933年に火に包まれた帝国議事堂。運命の会談を観ていた、ポツダムの宮殿の庭に今も残る赤い星。
何を残し、何を残さないか。忘れないといわれる国民が、それで得ているものは何なのか。もちろん、ちょっと勉強したくらいではわからないけれど、興味は尽きない。(2014・7)

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July 17, 2014

歴史の見方が分かる世界史入門

ウィーン体制の崩壊によって、自由主義とナショナリズムを妨げるものはなくなりました。ヨーロッパ大陸はその実現に向かいます。中でも、新たな国家として自立したのがイタリアとドイツでした。

「歴史の見方がわかる世界史入門」福村国春著(ベレ出版)

大学受験塾で世界史を教える著者が、ルネサンス以降の世界秩序の変遷を平易に紐解く。副題は「いまにつながるヨーロッパ近現代史」。初ドイツ観光のベースとして読んでみた。
ところどころコラム的に「歴史の見方」をはさんで、主要国の国民性や、独裁を生む条件とかを、ざっくり解説。著者がいうように、ヨーロッパは戦争の歴史だということ、人類自体がそうだということがよくわかる。そして性懲りもなく、様々な平和の方策を発明し希求する。それもまた人間なのだろう。(2014・7)

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June 28, 2014

風の影

ぼくは本にかこまれて育ち、ほこりまみれでバラバラになったページのあいだに、見えない友だちをつくっていた。そのにおいは、いまでもこの手にしみついている。

「風の影(上・下)」カルロス・ルイス・サフォン著(集英社文庫)

1945年、少年ダニエルは古書店を営む父に、「忘れられた本の墓場」へ連れていかれる。埋もれゆく本が必ず流れ着く、秘密の古書の館だ。そこで出会った小説「風の影」に魅せられ、10年後、一枚の焼け焦げた写真を手掛かりに、作家フリアン・カラックスの過去を探る冒険に踏み出していく。

2001年にスペインで出版されたベストセラーを読んだ。子供のころ小説や漫画にどきどきすると、後日談やスピンアウトストーリーを勝手に想像して楽しんだ人は多いはず。上下巻約800ページの長編は、そんな本好きにはお馴染みの感覚を思わせる。
ダニエルをつけ狙う「顔のない男」ライン・クーベルトや、廃墟と化した館「靄の天使」という道具立ては、江戸川乱歩か「オペラ座の怪人」のようなゴシックホラーファンが、頭の中で膨らますイメージそのもの。何故か片っ端から燃やされて、この世から抹殺されかけている小説の最後の一冊とか、ヴィクトル・ユゴーの万年筆だとか、鍵になるアイテムが、わかりやすくロマンチックだ。
ハリー・ポッターシリーズをはじめとする、王道の少年成長談の香りもたっぷり。悪の権化フメロとの対決、宿命的な恋、お調子者だけど強靭な反骨精神をもつフェルミンとの友情、父親との微妙な距離感など、サービス精神満載です。

ありがちな冒険ミステリーと一線を画すのは、もうひとりの主役バルセロナという都市の存在だろう。ガウディと美食の街という現代のイメージとは違って、1936年から1939年の内戦が人々の心につけた深い傷、その後30年以上にもわたるフランコ独裁の閉塞感が、全編に色濃く影を落としている。こういう時代があったんだなあ。
影が濃いからこそ、活気ある芸術カフェ「クワトロガッツ」とか、丘を登っていく青い路面電車、靄のかかる波止場といった場面が生き生きと息づく。ハラハラの背景で、新興財閥の驕りと転落、信仰の限界といった大人っぽい要素が深みを与えている。木村裕美訳。(2014・6)

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June 13, 2014

遺体

 小泉は身元確認のメモに記された知った名前に気がつく度に、誰にも聞こえないほど小さな声でつぶやいた。
「君もか……」

「遺体 震災、津波の果てに」石井光太著(新潮社)

東日本大震災直後の釜石市の遺体安置所を描いて評判だったノンフィクションを、ようやく読むことができた。正直怖かったけれど、読んで良かった。
民生委員、市職員、住職、医師、歯科医、消防団員、自衛隊員や海上保安士…。さまざまな立場の人物へのインタビューを通して、むしろ淡々と、極限状態の日々を綴っていく。
涙は出ない。自らも被災し、親しい者の死に直面しながら、一人ひとりが眼前の事態に対処しようとしている。決して英雄でない市井の人々が、義務を果たす。圧倒的で容赦ない現実が胸に迫る。電子書籍で。(2014・6)

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June 12, 2014

吠えろ!坂巻記者

「お前は異動してきてから、原稿を一本も出してない。そういうやつに、飯を食いに行く資格はない」
 いくらなんでも、あんまりだ。でも、堀も空気が読めなすぎる。キャップがミーティングを始めると言っているのに、一人でご飯に行くだなんて。

「吠えろ!坂巻記者」仙川環著(ハルキ文庫)

医療ミステリーで知られる著者のお仕事エンタテインメント。職場ものといっても、主人公の中央新聞ヒラ記者、上原千穂は威勢よく啖呵を切るハンザワやハナサキとはちょっと違う。寝食忘れてバリバリ活躍するよりも、ワークライフ・バランスを望んでいる。念願かなって激務の社会部から異動してきた、人間らしく働けるはずの生活情報部なのに、パワハラまがいのキャップ、坂巻武士の下に就くはめになる。

なにしろ部下への指示は行き当たりばったり、上司にも取材先にも、暴言を吐きまくって敬遠されている。さらに後輩記者の堀は、社会人らしい気遣いは全くなく、やりたい仕事を優先しちゃう。しなやかで格好良く見える女性上司も、実は心に屈託を抱えている。

そもそも坂巻が率いるグループを新設したこと自体、なにやら社内政治のにおいがする。なんだかなあ、とため息をつきながらも、千穂はあえて上司に逆らうタイプではない。気が進まないまま、坂巻から振られたテーマをこなすうちに、一つひとつ成果に結びつく道筋を見いだしていく。働く人が大事にしたいこととは何か。
決して大上段にふりかぶらないし、軽く読めるけど、地に足がついたコメディだ。文庫書下ろし。(2014・6)

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May 14, 2014

「機械との競争」

CEOの報酬と平均的社員の報酬を比べると、一九九〇年は七〇倍だったのが、二〇〇五年には三〇〇倍に跳ね上がっている。エリックはヒーキュン・キムと行った調査で、この飛躍的な伸びはITの浸透と時を同じくしている、と指摘した。

「機械との競争」エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー著(日経BP社)

技術進歩が雇用を奪う衝撃の現状と、それを認識したうえで将来を切り開く道筋について、MITスローン・スクールの経済学教授と、デジタル・ビジネス・センター主任リサーチサイエンティストが分析した。電子書籍で。

著者は数多くの先行研究をたどり、スキルの高い労働者と低い者の賃金格差が広がっていることや、スーパースターが富を独占する傾向、その背景にテクノロジーがあることなどを明らかにしていく。イエレンFRB議長の「雇用の質」議論にも通じる。
では人間は機械に隷属するのかというと、そうでもない。一九九七年にチェスの名手がIBMのコンピューター「ディープブルー」に敗れたことは、世界に衝撃をもたらしたが、現在世界最強のプレーヤーはコンピューターではなく、コンピューターを使った人間のチーム。競争に勝つ鍵はマシンを味方につけることだ、との主張だ。

そのために何が必要か。例えば教育。アメリカの教育は停滞し、中間的な労働者は最新技術についていけていない。だからこそ改善の余地があると、あくまで前向きなのがアメリカらしいところ。確かに無償公開の講義ビデオを活用して、お仕着せのカリキュラムは生徒が自宅でこなし、学校では教師と相談しながら「宿題」をする、という逆転の発想は面白い。
さらに知恵の共有。パンは食べ終わったらそれで終わり、でも本なら読み終わって友達に貸すことができる。むしろ読み終わった者同士で話し合えるから、価値が高まる。情報がIT化されれば共有も簡単。仕事を奪うのがデジタルなら、その克服を助けるのもまたデジタルなのだ。村井章子訳。解説は小峰隆夫法政大教授。(2014・5)

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May 10, 2014

オスカー・ワオの短く凄まじい人生

次の日朝食を食べながら母に訊ねた。僕ってブサイク?
母はため息をついた。そうね、確かに私には似てないわね。
ドミニカ人の親たちよ! まさに愛すべき人々!

「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」ジュノ・ディアス著(新潮クレスト・ブックス)

2011年のTwitter文学賞海外編1位をようやく読む。饒舌でスピーディー、読む者をぐいぐい引っ張るマシンガン文体が心地いい。ピュリツァー賞、全米批評家協会賞受賞作。
物語の軸は、ニューヨークのドミニカ移民コミュニティーに住む語り手、ユニオールの青春ストーリーだ。迷惑だけど大切な友達オスカーを救えなかったという深い悔恨、そしてオスカーの姉で、誇り高い美女ロラへの思慕。なぜオスカーはオタクで絶望的にモテないくせに、へこたれず恋愛を求め続けたのか、なぜロラは凛として格好いいのか? バックグラウンドには一家の怒涛の三代記、すなわちドミニカとドミニカ移民の現代史があるのだ。

ドミニカについては正直、全く知識がなかった。お恥ずかしい。イスパニューラ島の東部にあって、国境を接する西部のハイチとはすごく仲が悪いらしい。15世紀末、米州初のヨーロッパ植民地になり、アメリカの軍政期をへて、1930年から30年にわたってはトルヒーヨ将軍の独裁が続いた。徹底した個人崇拝と私物化、暴力と弾圧、秘密警察と密告。オスカーの祖父アベラードと家族は暗黒政治の犠牲となり、ひとり残された娘ベリも、危険な恋に落ちて秘密警察に追われ、米国に逃れるはめになる。壮絶な国家的悲劇と、悲劇を生き抜くタフな女に圧倒されっぱなし。

ラテン男とはとうてい思えない太ったオタク青年、オスカーの造形も鮮やかだ。おバカで情けなくて、切なく愛おしい。全編にSFやファンタジー、アメコミ、RPGといったサブカルのキーワードが散りばめられていて、クラクラしちゃう。もちろん「ガッチャマン」「AKIRA」も普通に登場。アキバのグローバル化って、ここまできてるんですねえ。原注、訳注、スペイン語のルビも満載で、ごった煮感が楽しめます。柴田元幸門下の都甲幸治、久保尚美訳。(2014・4)

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