October 31, 2016

王とサーカス

「もう一度言うが、私はお前を責めようとしているのではない。お前の後ろにいる、刺激的な最新情報を待っている人々の望みを叶えたくないだけだ」

「王とサーカス」米澤穂信著(東京創元社)

旅行情報の仕事の下調べで、ネパールを訪れたフリーラータ―大刀洗万智は、王族殺害という大事件に遭遇、現地ルポに乗り出す。ところが取材相手が死体で発見され、事情聴取を受けることに…

2016年「このミス」1位作。2007年の「インシテミル」で本格のイメージをもってたけど、青春ものがメーンの作家だったんですね~ 本作はその派生シリーズで、馴染みの薄い国での歴史的事件という設定が、まず異色。
市民と警官隊の衝突、一転して外出禁止令で静まり返る首都、さらに殺人事件の謎解きへ。とはいえ犯人捜しのインパクトは薄めで、ヒロイン大刀洗が、フリーの物書きとして覚悟を定めていく過程が印象的だ。

遠い国で起きた歴史的事件のニュースに接して、ただ何らかの刺激を消費していく私たち。その陰にある個人の思い、民族の思いをどれほど感じられるのか。悩んでも、伝え続けるしかない。そこに出来事がある限り。(2016・10)

October 20, 2016

螻蛄

「ええな。打ち合わせたとおりに喋れよ。ミスったらおまえの責任や」
「喋りはおれより桑原さんのほうが巧いやないですか」
「わしはあかん。堅気を相手にくそ丁寧なものいいはできん」
「いつでも巻き舌のケンカ口調ですもんね」
「どこが巻き舌や、こら」
「その喋りが怖いんです」

「螻蛄」黒川博行著(角川文庫)

人気ハードボイルド、疫病神シリーズの1冊を読んでみた。2014年に6回目の候補入りで直木賞をとった「破門」の前作にあたる。ひたすら「シノギ」=稼ぎに邁進する大阪イケイケ極道・桑原と、こき使われる建設コンサルタントの二宮。行動力と会話にテンポがあって、650ページ超を一気読み。

いってしまえば、舞台装置に驚きはない。巨大宗教法人の内紛、怪しげな手形や美術品取引や土地開発、巻き込まれるオーナー企業、そこへつけ入る反社会的勢力。いかにもありふれた経済事件であり、徹底してリアルだ。
主人公のアウトロー2人の行動原理も実にシンプル。1000万単位のシノギがすべてだ。「ヤクザは代紋という看板で商売をする個人事業主で、組はその集合体。上納金は代紋の使用料」という、身も蓋もない説明がわかりやすい。

桑原は脅しと躊躇いのない暴力、東京、名古屋を飛び回るスピード感を見せつけつつ、どうしたら稼ぎを最大にできるか、冷静に分析している。凶暴なくせに、ズル賢く立ち回って、間違っても逮捕なんかされない。
このイケイケ極道に負けていないのが、語り手である堅気の二宮だ。建設現場のサバキ=「ヤクザを使ってヤクザを抑える対策」を生業とし、桑原に振り回されているようでいて、結局は危ない橋を渡り、そのたび、がめつく分け前を吊り上げていく。怪我だらけなのに、暇さえあれば美味しいレストランで食事するし、人に会うと一瞬にしてその服装を値踏みする。逞しいなあ。

悪徳だけど、カネをむしる相手もそうとう悪徳なので、どっこいどっこいだ。きれいな結論が無いから、いっそサバサバしている。カネと本音で結びついた、奇妙な信頼関係のあるコンビ。古いけど、関西弁の「傷だらけの天使」かな。細部が書き込まれているので、「ロケ地」探索の楽しみもありそう。(2016・10)

October 10, 2016

オペラでわかるヨーロッパ史

統一イタリアの現状に失望していたヴェルディは、シモンに政治家としての理想像を託したのではないだろうか。

「オペラでわかるヨーロッパ史」加藤浩子著(平凡社新書)

ミーハーな初心者にもわかりやすいオペラ解説で知られる著者が、ヴェルディ、プッチーニなど人気演目の背景を綴る。ストーリーが描く歴史的事件はもちろん、作曲・初演時点での国際情勢も重ね合わせていて、鑑賞の楽しみが増す一冊だ。

源平の合戦とか赤穂浪士の討ち入りとか、伝統芸能には設定を誰でも知っているという前提で書かれたものが多い。オペラもしかり。例えばドニゼッティのテュ-ダー朝3部作は、多くの小説や映画にもなっているテーマでもあり、やはり英国王朝のドロドロを知って観ると興味深い。人間関係はさらに、ヴェルディのハプスブルク朝スペインを舞台にした「ドン・カルロ」にもつながっていくのだから、欧州史はダイナミックだ。

作品は世に出たタイミングの時代背景とも、無縁でいられない。ヴェルディの「シモン・ボッカネグラ」の主題は、14世紀ジェノヴァの政争。奇しくもイタリアは初演1857年の4年後に統一という歴史的な大事業を成し遂げるが、不安定な政情が続く。
そんな状況もあって、およそ四半世紀後に大幅改訂された現行バージョンには、大詰めに平和を訴える象徴的なシーンが付け加えられたという。個人的には「椿姫」「アイーダ」などと比べて地味な印象だったけど、解説を知れば感動ひとしおだ。
著者は作曲家の家族に対する思いにも迫っている。深いです。(2016・10)


September 25, 2016

親が倒れた日から、いつかくる…その日まで。

自分が驕っているから、腹が立つのかもしれない。そう思いながら、何度もクールダウンしていました。

「親が倒れた日から、いつかくる…その日まで。 かぶらぎさん家のケース」かぶらぎみなこ著(TOブックス)

69歳の父が突然、脳梗塞で倒れてから5年間の家族の苦闘を、同居する長女のイラストレーターが綴ったコミックエッセイ。介護の体験記は数多く、かえってあまり読まずにきたけれど、知人に勧められて手にとった。本業の可愛いイラストと、簡潔な文が読みやすい。

お父さまの病状はかなり厳しくて、もともと持病で長年、透析を受けているうえ、脳梗塞の後遺症が加わる。緊急入院、自宅のリフォーム、自宅での世話、様々な介護サービスの利用…と、怒涛のような目の前の事態に、手探りで次々に対応していく日々だ。
それでも辛さの吐露は最低限。読者の参考になるようにと、具体的な実務をテキパキ語る。そしてどんなシーンにも、少しのユーモアが滲み、著者の人柄が感じられる。

ブログをまとめたもので、発刊の2015年春には、74歳になったお父さまは入院中。けれど読み終わってブログをのぞいてみると、2016年6月に亡くなられ、更新が止まっていました。最後まできめ細かな記述。ご本人もご家族も、本当にお疲れさまでした… (2016・9)

September 17, 2016

あなたが消えた夜に

人の何かに触れる時、いつもそれは漂うように自分の中に残り、気持ちが微かにざわついていく。車に乗り、シートに身体をあずける。彼女が自分の孤独の中に帰っていく。そして僕も。

「あなたが消えた夜に」中村文則著(毎日新聞出版)

暗い。ものすごく暗くて、初出がほぼ1年にわたる新聞連載というのが信じられないくらいだ。でも、なぜかどんどん読み進んでしまう。

分類すれば警察小説。刑事の1人称語りで、第一部では無差別な通り魔”コートの男”事件を追い、第二部では衝撃的な連続殺人を明らかにしていく。そして第三部が犯人の手記。
とにかく損なわれた人物ばかりが次々に登場する。被害者も、加害者も、加害者を追う刑事たちも。まともな組織人は輪郭がぼやけて、名前さえさだかでない存在として扱われる。
損なわれ方に共通項があって、互いに共鳴し合い、どんどん歪んでいくのが、なんともやりきれない。孤独、虐待、依存、嗜癖、洗脳、独占欲、喪失、復讐、罪の意識…。決して猟奇的過ぎるわけではないのだが、思わず目を背けたくなるような狭くて息苦しい世界。しかも真相はやぶの中だ。

たぶん世の中は綺麗ごとじゃない。理不尽な不幸は日常にごろごろしている。では果たして人間は、何があれば引き返すことができるのか。少なくとも宗教や医療ではないということか。
ラストの3人称シーンに救いがほのめかされるけれど、行く末は不透明だろう。重いテーマ、複雑な人間関係を、ずうっと考え続ける著者のタフさに舌を巻く。

若い刑事コンビ、所轄の中島と、相棒になる捜査一課の小橋さんのやり取りが、暗い道程にぽつぽつと灯りをともすようで、ストーリーを引っ張っていく。2人は人間の闇を理解するだけに、なんとか食い止めよう、踏みとどまらせようと、誠実にもがいている。
特に天然で、空気を読まない小橋さんの発言が、実にいい味。ふだん素っ頓狂なだけに、2人が張り込み中、ついに抱えている秘密を語り合うシーンが胸に響く。「全部見せてしまえる存在」というものの、かけがえのなさ。(2016・9)

September 06, 2016

忠臣蔵とは何か

歌舞伎役者は赤穂の浪士に扮するときなぜ火事装束を着ることにしたのか。これはおもしろい問題だ。

「忠臣蔵とは何か」丸谷才一著(講談社文芸文庫)

言わずと知れた才人作家の、1985年発表の文芸評論を読む。野間文芸賞を受ける一方、論争にもなったという。
歴史的仮名遣いで、古今東西の書物を自在に引用しており、いかにもペダンティック。ストーリーにはけっこう強引な飛躍も多くて、結論部分で「どうも否定しにくいやうだ」といった曖昧な表現になっちゃうことも。素人目には、この茶目っ気と独特の「話芸」が、まず心地よい。

今も繰り返し上演される大作「3大狂言」には、偉い人の運命に巻き込まれる庶民の悲劇、という共通点がある。ただ、肝心の偉い人の造形において、忠臣蔵は異彩を放つ。
義経は「桜」というだけあって、問答無用の悲劇的なスター性を持っているし、道真は危機に瀕して人形を動かしちゃうほど、神がかっている。2人に比べると、赤穂の殿さまという人は、いろいろ事情はあったにせよ、いかにも短慮だ。なぜこんな浅はかな上司のために、ドラマティックな仇討が成立するのか?
この大きな謎に対し、著者は様々なアイデアを繰り出して答えていく。恨みからの災いを避けるための鎮魂、江戸期にあっては自然災害にも似た、避けがたい悪政への反発、さらには長い冬を越え、生命復活の春を祝う祭…。月並みな忠義の枠組みを、すこんと忘れちゃう姿勢が痛快です。

丸谷節の真骨頂は、リアルな事件としての討ち入りが、そもそも演劇に影響されていた、というあたりだろう。元禄年間の「曽我もの」ブームを丹念に追い、社会と物語の相互作用を語っていく。
ほかにも日本に出現した江戸という大都会を、大坂人はどう見ていたか、とか、いろいろ面白い視点がてんこ盛り。読み進めながら、このパワフルな人気戯曲を現代にどう位置づけるのか、を考えずにはいられない。文楽・歌舞伎好きにはたまらない一冊だ。(2016・9)

August 16, 2016

あなたを選んでくれるもの

わたしは目を閉じて、そう気づかされるたびにいつもやって来る、ズシンという静かな衝撃波を全身で受け止めた。それはわたしがボンネットみたいに頭にかぶって顎の下でぎゅっと結わえつけているちんまりしたニセの現実が、巨大で不可解な本物の現実世界に取って代わられる音だった。

「あなたを選んでくれるもの」ミランダ・ジュライ著(新潮クレスト・ブックス)

岸本佐和子訳で2015年に話題だった一冊をようやく。2010年の小説も評判だっただけに、実はあまり予備知識なく読み始め、フィクションではなくフォトドキュメンタリーと知って驚く。豊かな社会の片隅に、確かにある貧しさ、孤独。庶民の現実は容赦ないけれど、それを受け止めてこそ知る一人ひとりのかけがえのなさが胸にしみる。

映画の脚本に行き詰った著者はなんとか突破口を開こうと、手元にあるジャンクなフリーぺーパーに「売ります」広告を出す人々に会ってみようと思いつく。電話でほぼ行き当たりばったりアポをとり、家を訪ねて出会う売主たちの肖像が、まず衝撃だ。なにしろしょっぱなが、60代で性転換途中のマイケル。小さい声で話し、生活保護でひとり暮らしし、「毎日をエンジョイしていのね。だからいつも幸せなの」。ブリジット・サイアーの写真が雄弁。

パソコンを使わず、絶滅寸前の紙媒体で、手持ちのオタマジャクシやら他人が遺した家族写真やらを売り、小金を手にしようとする人たち。はっきり語らなくても、どこか滑稽で、生きにくさを抱えていて、ちょっと目を背けたくなるシーンもある。でもそれは、ほんの表面に過ぎない。これは取材相手というより著者がインタビューを重ねることで、家族や死や創作、そして時間というものに向き合っていくドキュメンタリーだ。

ジュライは2005年に長編映画デビューでカンヌのカメラ・ドールをとったアーティスト。子供のころ、父は彼女によりによって「24人のビリー・ミリガン」を読んで聞かせたという。バークレーの私立高時代には、新聞の告知欄で見つけた服役中の殺人犯と文通していた。芸術的で感受性が強くて、面倒くさい。約束の町に早めに着き、近所をドライブして時間をつぶすうちに、結局遅れちゃう。そんな人だ。

大切な存在を手に入れれば、やがてはそれを失うことになる。日々を重ねていけば、どうしたって残りは少なくなり、もうたいしたことも成し遂げられないと思い知ることになる。「40を過ぎたら残りはもう小銭」。たいていの普通の人生は、さして意味はない。でも少しのユーモアと愛情と真摯さがあれば、小さくても確かな輝きを放つ。
著者はやがて突破口をみつけ、創作に立ち向かっていく。ほとんど偶然の、リアルな出会いによって。意味は違うんだけど、ちょっと前に読んだ「永い言い訳」の「人生は、他者だ」というセリフを思い出した。(2016・8)

July 31, 2016

インドで考えたこと

この土地で、この自然に対抗して、人間のあかしを立て、存在を証明するためにうちたてられた無類の思想が、極東の島に住む、われわれの祖先の人間のあかし、存在証明の手伝いをしてくれたのである。

「インドで考えたこと」堀田善衛著(岩波新書)

この夏のインドシリーズの仕上げとして、1957年第1刷発行、いわば古典的インド紀行を読んでみた。1918年生まれの作家が、「アジア作家会議」の事務局メンバーとして56年末から2カ月ほど滞在。その間の見聞や感じたことを綴っていく。

もちろんまだソ連が存在し、南北ベトナムの対立にも言及しているから、時代状況は今とずいぶん違っていて、読みながら奇妙な感じさえする。遅れた国々が独立し、発展を目指すうえで、共産主義に接近することに、強い希望が漂う。
とはいえ著者が現地の人々や、会議に集まってきた各国の作家たちとの交流を通じて、日本のよって立つところを探る真摯な言葉には、一定の普遍性がありそうだ。「デリーにいて、私は自分の視線がぐいぐいと伸びて行くのを感じた。」と著者は書く。

日本はアジアの一員、というのが大前提。といっても、ごくごく片隅の存在であることが、まず強烈に意識される。広大な中国があり、東南アジア、ソ連の一部だった中央アジアの国々があり、中東を経てトルコへ至る。そう思うと今さらながら、いかに文化、宗教の振り幅が大きいことか。現代の日本文化もいくばくかは、そんな悠久のアジア精神に根っこがあるはずだ。
一方で、日本が経験してきた明治維新から戦後に至る欧米文化の受容とか、経済発展とかは、いかにも非連続。アジアと一口に括るには、どこか異質だ。これは単に融通無碍の民族性というべきか、見えないふりをしているけれど、大きな矛盾というべきなのか?

すっきりした結論や主張というのではないけれど、様々な思考を引き出すのが、インドという国の魅力なのか。文化的、社会的混沌が、なにやら深く豊かなものに思えてくる。(2016・7)

July 08, 2016

河童が覗いたインド

どの紙幣にも表か裏に、必ず14種の文字で金額が列記してある。

「河童が覗いたインド」妹尾河童著(新潮文庫)

この夏のインドシリーズ第2弾は、1985年刊の旅行記。お馴染みの舞台美術家が、驚異的な好奇心で亜大陸を歩きまわり、細密スケッチ、手書き文字で描き出す。
「聖なる河」「聖なる牛」、油断ならないタクシー運転手、しつこい自称ガイド、超効率が悪い役所…。30年もたっているのだから、今ではもうだいぶ、事情が違うのだろうけど、どうも変わらなそうな気がすること。それは、ごった煮の多様性ではないか。
とにかく人が大勢いて、誰もが身勝手で、小ずるくて。でも隣の人が自分と同じ方向を向いてなくても、それはそれで気にしない、というイメージ。あくまでイメージですが。
そんなパワフルなインドに決して負けないのが、著者の個性。自分の興味関心に忠実で、面白くて、拘りが強い。そばにいたらきっと、ヘビーなんだろうなあ。(2016・7)

July 01, 2016

永い言い訳

幸夫くん。もう私、行かなきゃなんだけど。

「永い言い訳」西川美和著(文藝春秋)

人気作家・幸夫は、すでに心の離れていた妻を、突然の事故で亡くす。テレビカメラの前で悲しみを語りながら、実際には涙も出ず、心中冷え冷えとした日々。そこへ大宮家の面々、同じ事故で亡くなった妻の親友の夫・陽一、幼い子供・真平と灯が現れる。

まず幸夫の造形が絶妙だ。女性にもてて、知的でクイズ番組なんかに出ながら、物書きとしては行き詰まりを感じている。子供の頃から、名前の読みがマッチョな野球選手と同じなことを嫌がってきた、自意識のかたまり。売れないころ生活を支えた妻に、ずっと引け目がぬぐえなかった、いじけ虫。
ネガティブで身勝手で面倒臭くて、つくづくリアルだ。大人はたいてい、リアルを上手に隠して生きていくのだ。突然、配偶者を失ったりしなければ。

トラック運転手の陽一は、対照的に率直だ。子供たちも健気に、突然母に去られたショックと戦う。幸夫はそんな大宮家の面々に、柄にもなく関わって、心惹かれ、苛立ち、傷つける。そしてたどり着く、きっぱりと、さびしい背中。

「人生は、他者だ」。心に染みいる言い訳を綴れるようになるまで、編集者やら、妻の同僚やら、事故遺族のドキュメンタリーを撮るクルーのアシスタントやら、幸夫をとりまく数多くの視点をつないで、心理の揺れを表現していく。それぞれに説得力があって、読みやすい。
著者は言わずと知れた、才色兼備の映画監督にして作家。巧いです。2016年に映画化。(2016・6)

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