April 16, 2025

ラグビー知的観戦のすすめ

密集ができたときに、その外側の人数や、そこから起き上がってくる選手たちに注目すると、これまでとは違った見方でラグビーを楽しめるようになる。

「ラグビー知的観戦のすすめ」廣瀬俊朗著(角川新書)

元日本代表主将による観戦ガイド。2019年のワールドカップ日本開催に向けた出版なので、各国代表の紹介などは古くなっているものの、基礎的な内容はためになる。「親分にするなら第三列」といったポジションの役割、「ボールを持った選手が常にチームの先頭」といったルール、パスやキックを選択する意味…。相変らずルールや反則は難しいけれど、大事なのは自分の足で立っていること、そして組み合ったら手でボールに触れないこと、と言われるとわかりやすい。
歴史的背景も面白い。フットボールのルーツはイングランドの、何でもありの村祭りで、スポーツとなってからも学校ごとにルールがばらばらだった。1863年にルール統一を話し合い、席を立ったラグビー校式のグループがラグビーに、残った手を使わない派のグループがサッカーになった。ラグビーのアマチュアリズムの伝統は、中上流階級の子弟が名誉のために闘っていたから、そして代表資格が所属協会主義なのは植民地経営のエリートが参加した名残。なるほど。
著者はラグビー振興に情熱をもっていて、その魅力を語りたくて仕方がない。品位や規律という精神論だけでは正直、優等生過ぎるけれど、自身が代表キャプテンを下ろされた屈辱も率直に明かし、それを乗り越えた過程もまたラグビーの魅力だと語っていて、好感がもてる。(2025.4)

April 05, 2025

まいまいつぶろ

「どんな駒も前に進めると教えてくださったのは家重様にございます」

「まいまいつぶろ」村木嵐著(幻冬舎)

2023年に評判だった、九代将軍・家重と側近・大岡忠光の生涯を描く一編を知人の勧めで。家重といえば、幼いころから障害を抱え、奥にこもって酒食にふけりがち。享保の改革を断行した偉大な先代・吉宗が実権を握り続けたと言われる。しかし本作では家重を、聡明で人の本性を見抜き、また弱者を労る心優しい人物と解釈。イメージを覆す設定は、時代小説の楽しみのひとつだ。

とはいえ、全編を覆う雰囲気は重苦しい。なにしろ家重は尿意を堪えるにも苦労して、まいまいつぶろと嘲られ、廃嫡の危機はもちろん、将軍の座についてさえ屈辱に耐え続ける日々だ。全く格好良くない。
その不明瞭な発話を唯一理解し、見事に「通訳」し通したのが忠光。少年時代からすぐ側にいて、最高権力者の絶対的な信頼を得たわけだが、それだけに厳しく自分を律する。家重の口代わりを務めても、決して耳や目にはならないと思い定め、つまり自分の見聞きしたことを家重にインプットしたり、家重が口にしない思いを自分が察して周囲に伝えることは、一切ない。無表情に一歩下がっていて、作中でも自分の言葉でしゃべるシーンがほとんどないほど。権勢を振るうことはなく、ついでに賄は断固拒否、紙一味も受け取らない。
清廉といえば立派だけれど、その頑なさが家重・忠光主従にとってプラスとは限らない。本当に忠光は家重の言葉を理解して、正確に伝えているのか? 江戸城の中枢に渦巻く疑念、嫉妬、嘲り、悪意。ではどうしたらいいのか。権力に仕えるものの宿命に正直、息が詰まる。家重治世の重要イベント、木曽三川の治水工事や郡上一揆では、昔のこととはいえ、多くの人命が失われちゃうのも陰鬱。
だからこそ、と言うべきだろう。吉宗の最晩年の言葉の温かさ、そして大詰め、忠光下城シーンの壮大な江戸城の景色がドラマチックで、ジンとくる。

思いが伝わらないことの辛さ、もどかしさの物語と考えると、ずいぶん普遍的なことに気づく。障害はもちろん、難病や加齢、より日常的にコミュニケーション下手な人というのは、たくさんいる。異文化に放り込まれた境遇でもありうること。伝わらないからといって無いことにしない、想像力の難しさ。

主役主従はなんとも地味だけれど、お馴染みの人物の登場は嬉しい。暴れん坊将軍・吉宗の存在感はもちろん、忠光の遠縁で終生の理解者である町奉行・大岡忠相(越前)、大河ドラマ「べらぼう」の十代府軍・家治の賢さ。なんといっても若き日の田沼意次が、めちゃくちゃ頭が切れて的確で、かつ、後年の忠光とは全く違うアプローチも思わせて面白い。
著者は京大法学部卒で、司馬遼太郎家の家事手伝いをへて夫人・福田みどりさんの個人秘書を務めた人。幕府の役職など時代小説の言葉は常識とばかり、説明を省きがちでちょっと難しいけれど、空気が壊れない。(2025.4)

March 03, 2025

それでもテレビは死なない

僕たちテレビディレクターは、「予算」と常に闘っている。多少の赤字が許された、テレビ業界の華やかなりし日々はすでに去った。理想=「伝えたい現実(映像)」と現実=「予算」の狭間で日々、苦しみ。葛藤している。

「それでもテレビは死なない」奥村健太著(技術評論社)

副題は「映像制作の現場で生きる!」。制作会社で長く、報道・ドキュメンタリーに携わるディレクターが実感をこめて、テレビが抱える課題を綴る。

2013年出版とあって、2011年の震災報道が問題意識の発端となる。しかし著者が指摘する、テレビに限らないマスメディアの様々な自制と、それゆえ招いてしまっている根深い不信感というものは、現在も悪化こそすれ、古びていない。
PTSDを招いてはならないと、悲惨すぎる被害を伝えず、原発事故についても科学的に不確かなことは言えないから、慎重に報道する。それぞれ、もっともな選択なのだが、ネットという別ルートの情報源を得た視聴者から、マスメディアは真実を伝えていない、と突き放されてしまう。日々、取材先と対峙し、少しでも意味ある情報を届けようとするディレクターの苦悩は深い。

ほかにも制作費の限界、似たようなお手軽企画の氾濫、ドキュメンタリーとフィクションの狭間など、課題が盛りだくさん。それでも決して愚痴っぽくないのが魅力だ。語り口が軽妙だし、なにより、著者は映像の現場が好きでたまらず、同じような後輩を育てたい、と強く願っている。
海外取材の経験が豊富で、章の合間には「ロケで死にかける」なんてコラムも。いわくアンデス山脈の断崖から滑り落ちたり、中国とチベット自治区の省境で人民解放軍に囲まれたり。こんな目に遭っても辞められない仕事、そうそうありません。

信頼できない番組を目にしても「テレビ全体が信用できない!」と切り捨てずに指摘してほしい、そうして送り手同士が切磋琢磨し、送り手と受け手がキャッチボールして、価値あるものを作っていきたい。著者のメッセージは切実だ。(2025.3)

February 24, 2025

外国暮らしで出会った28の食物語

明日飛行機取って帰るからという夫に、ちょっと待って、私仕事辞めてすぐそっちに行くから。学校は絶対辞めないで、と言って、とどまらせました。正社員だったので周りに頭を下げ、辞めさせてもらい、一週間後には飛行機に乗っていました。

「外国暮らしで出会った28の食物語」森川由紀子著(ジュピター出版)

今はご自宅でパーティー型料理教室を主宰する著者が、国連職員だったご夫君と暮らした海外の思い出、そこにまつわる料理レシピを写真とともに紹介。ボストン、オレゴン、ニューヨーク、イタリアと、どこへ行ってもホームパーティーやマーケットの手伝いで、積極的に交流し、日々を楽しむ様子が、逞しくて朗らかだ。
特に最初の赴任地ウガンダの体験が凄まじい。なにしろ雇った運転手が勝手にガレージのガソリンを売り飛ばされたり、隣のリビア人宅の見張りの兵士(アスカリ)がなんと強盗に変貌して、動転しつつも国連配備のトランシーバーで警察を呼んだり、よくぞご無事で、という感じ。それでも気のいいメイドのローズと仲良くなるし、パキスタン人の奥様に本場のカレーを、ドイツ人上司の妻に得意のキッシュを習っちゃう。イギリス人の疑問文の語尾を下げる口調に学ぶとか、知的好奇心も旺盛だ。
料理はレモネードとかラペもあって、割合シンプルです。

January 09, 2025

戦争と外交の世界史

マリア・テレジアの画期的な外交戦術を冷静に分析し、自国の利益が新大陸で拡大することのみを目的として、七年戦争に参加したグレートブリテンの、国際情勢と自国の利益との関係を見極める賢明さを記憶に留めたいと思います。

「戦争と外交の世界史」出口治明著(日経ビジネス人文庫)

人類の脳は1万2000年前のドメティケーション、すなわち定住して農業・牧畜・冶金を始めた頃から進化していない。それからずっと人間は誰かが誰かをポカリと殴り、相手は殴り返す、を繰り返してきたし、これからも繰り返すーー。博覧強記の著者が450ページ近くにわたり、古代エジプトから二次大戦まで古今東西の様々な条約、そこに至る同盟と戦争の構図を読み解く。繰り返される愚かさは、今こそ、多くの人が知るべき歴史だ。

例えば18世紀。オーストリア・ハプスブルク家のマリア・テレジアはプロイセンから領土を奪還するため、ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人を通じて犬猿の仲だったフランスと結び、全ヨーロッパをあっと言わせた。マリー・アントワネットの結婚という華やかさもあいまって外交革命と呼ばれ、さらにロシアの女帝エリザヴェータとも組む。「敵の敵は味方」という普遍の真理がここにある。
しかしエリザヴェータ急死などもあり、思うような成果は上がらず、実は一連の経緯で最も得をしたのはグレート・ブリテンだった。マリア・テレジアを側面支援すると称して、新大陸やインドでフランスと闘い、広大な植民地を手にしちゃう。魑魅魍魎を生き抜く大英帝国のしたたかさ。著者の歴史を見る目はあくまで冷徹だ。

現代のアメリカという国のかたちが、せいぜい19世紀にナポレオンからの買収や対メキシコ戦の勝利でできあがったという史実は、トランプの時代に改めて、心すべきことかもしれない。その後の南北戦争は、軽工業育成のため関税による保護貿易をとりたい北部と、豊かな農産物を輸出したい自由貿易派の南部という経済政策の戦いだった。奴隷解放宣言などは世界に向けて、北部は人道的だと正当性をアピールするマニューバ(作戦行動)の一部と見るべき… このあたり、リアリストたる著者の面目躍如だろう。

そんな著者が評価するのは、情勢を分析して敵味方と渡り合う外交力、そして争いの中にあっても高次元の体制を描く構想力。前者でいえば、例えばアヘン禍と銀流出に直面し、大英帝国に理路整然と抗議した清朝の林則徐。あるいはナポレオンがヨーロッパ中をさんざん荒らし回ったのに、ウィーン会議に乗り込んで「正当主義」の理念を主張、平たく言えばすべてをフランス革命のせいにして領土も失わず賠償金も払わず、国益を守りきった外相タレーラン。
後者では、宋が兄となりキタイが弟となるODA型「澶淵(せんえん)の盟」で300年の平和を築いた宰相・寇準(こうじゅん)。はたまた二次大戦中に国連、IMF世銀を準備したフランクリン・ルーズベルト。余談ながら、こうした外交の英雄たちが、毀誉褒貶あったり、晩年必ずしも幸せに見えなかったり、どうも憧れの存在にみえないのは皮肉であり、だからこそ深い人間ドラマでもある。

よく語られることだけれど、伊藤博文が卓越した外交センスを発揮して日露戦争を停戦に持ち込んだのに、戦力・戦費が底をついた実情やアメリカの貢献をきちんと開示しなかったために、国民に誤った自信や嫌米感情を生んでしまったという記述は、その後、二次大戦までの多大な犠牲を考えれば、苦すぎる教訓だ。国家の岐路にあって、国民の間にいかに大局観を醸成するか、そもそも、国民の賢さとはいったい何なのか。メディアの責任と困難を思わずにいられない。

詰め込まれた数々のエピソードは、文学やオペラの名作に多々、インスピレーションを与えてきたもの。総司令官ヴァレンシュタインに嫉妬するフェルナンド二世を、義経・頼朝関係に例えるなど、散りばめられた教養もお楽しみ。
2018年出版で、2022年の文庫化にあたり「はじめに」でロシアのウクライナ侵攻にも触れている。著者は2021年に脳出血で倒れたものの、不屈の姿勢でリハビリに取り組み、2023年にAPU学長を退任した後も活発に執筆を続けている。時代はますます不穏。明晰かつ明朗な精神で知恵を授けてほしいと願う。(2025・1)

December 29, 2024

志村ふくみ 染めと織り

日本人が培った色彩感覚は、西洋音楽にはない無限の半音の世界ですね。

「志村ふくみ 染めと織り」聞き書きと評伝 古沢由紀子(求龍堂)

農家の手仕事だった紬に新風を吹き込んだ染織の人間国宝の足跡。読売新聞編集委員がインタビューの掲載から8年余り、大幅加筆してまとめた。3年ほど前に斜め読みしたんだけど、ふくみさん100歳記念の展覧会に足を運んで、作品を目にしたのを機に、再読。

紬は元来、養蚕農家の女性たちが、規格外のくず繭を惜しんだ日常の手仕事。庶民のよそ行きで、正装にはふさわしくないという考えが根強いそうだ。平織りと自然の植物染料を貫くふくみの作品も、一見して淡く温かく、素朴な印象。なにしろ柳宗悦の民芸運動に傾倒していた実母の影響で、この世界に足を踏み入れた。
しかしあえて切った糸をつなぐ「ぼろ織り」手法のデビュー作「秋霞」が一躍注目され、早くから独自の自由な感性を発揮して、民芸と決別している。リズミカルな幾何学模様などは、クレーやロスコに例えられるという。養父の仕事で上海や長崎に住み、リベラルな文化学院に通ったバックグラウンドゆえか。60代からゲーテの色彩論を学び、ヨーロッパやインド、イラン、トルコを旅し、文化功労者選出直後には「縛られず自由に活動したい」と日本工芸会を脱退しちゃう。抑えきれない芸術のパワーが爽快だ。

もちろん創造の現場は地道な闘いで、だからこそ深い。植物染料では、魔物と呼ばれる貴重な蘇芳(すおう)の深紅、60℃以上では「けしむらさき」になってしまい、「染める人の人格そのもの」を写す難しい紫根、そうかと思えば身近な玉葱。なかでも実母が「精神性が高い」と愛した藍は、発酵工程「藍建て」が興味深い。なぜか新月で建て始め、満月で染め始めるとうまくいくのだ。
そして方眼紙に緻密なデザイン画を描き、1100本の経糸をかけてコツコツ織りながら、ときに緯糸を思いのままに打ち込む。ジャズのような即興。
強靱に見えるふくみも、80歳を目前にうつの苦境に陥る。マティスが晩年手がけた切り絵をヒントに、50年分の残り裂を紙に貼るコラージュを通じて、復帰していくエピソードは胸をうつ。

駆け出し時代から人脈が華麗で、くらくらする。日本工芸会会長だった細川護立、60年代の個展に推薦文を寄せ、藍染めの第一人者を紹介した白洲正子、随筆家の道を開いた大岡信… 陶芸家・宮本憲吉の妻、宮本一枝(尾竹紅吉)がとりわけ強烈だ。「青鞜」にも参加した「新しい女」であり、ふくみを「男の人に甘やかされてはダメ」と叱咤する。なにせ尾竹三兄弟の長男、越堂の娘だもの。まさに貴重な時代の証言だ。

カラー図版や巻末の略年譜が充実。スピン(栞紐)2本が、淡い水色とオレンジで上品。凝っています。(2024.12)

一千字のまがな隙がな

着る物をすべて売り尽くし、夏、赤い水着だけで生活した。そこに突然の来客である。仕方なく、その恰好で応対した。むきだしの膝小僧にタオルをかけ、縁側で挨拶、客は出版社の編集者であった。『放浪記』の出版が決まったのである。芙美子は客が帰ったあと、水着姿で座敷中を飛びまわった。

「一千字のまがな隙がな」出久根達郎著

名手の文学案内シリーズで、2015~16年分をまとめた最終巻。8年に及ぶ連載で内外398人の作家をとりあげ、別の雑誌に掲載した2人を併載して計400人としている。個性豊かな作家たちの横顔を、短い文章で伝える筆が冴え渡る。

24歳の樋口一葉は傑作『たけくらべ』が大御所の森鴎外と幸田露伴に激賞され、同人仲間たちが狂喜しても、自分が若い女性だから世間が注目するのだろう、と冷静だった。貧乏のイメージが強い林芙美子は、『放浪記』がベストセラーになったあと、単身渡欧して1年あまりを過ごし、帰途、魯迅に会っている。なんだか痛快だ。
一方で「銭形平次」の野村胡堂は石川啄木の中学時代の先輩だが、よほどの確執があったとみえ、後年は交際が絶えてしまう。70代になってから故郷の歌碑の前に同じような学友が集って、「絶交解消式」を挙げた。啄木の性格の難しさからいろいろあったけれども、とどのつまり憎めない男だったと。

シリーズおなじみ、作家同士の響き合いのエピソードは、ときに海を渡る。例えば漱石の門弟、エリセーエフ。ロシア人留学生で帰国後、革命で投獄され、獄屋で大好きな漱石を読んで気を紛らした。国外脱出し、昭和になって米ハーバード大の東洋語学を教え、教え子のひとりがのちの駐日大使ライシャワーだという。
また、岩波文庫で魯迅選集を編む際、作家がこれだけは収録してほしいと要望したのは、仙台留学の思い出を綴った短編で、恩師に再会したかったから。しかし恩師がそのことを知ったのは、魯迅が56歳で亡くなった直後だった。その魯迅が足繁く通い、国民党政権から逮捕状が出たとき匿われたのは、元製薬メーカーの駐在員・内山完造が上海に開いた本屋だった。かと思えば、徳冨蘆花はトルストイに心酔し、片言の英語を頼りにはるばる田舎家まで訪ねていき、ともに川で泳ぐほど親しくなったという。強烈な自意識の共鳴。
ハイジ、フランダースの犬、小公子… 誰もが書名を知っているけれど作家名となると?という名作の数々と、それを日本に広めた訳者の逸話の数々も面白い。

ラストで五味康祐が描く時代小説のヒーロー像について、ダイナミックで淡泊な色気があって、と綴り、「私は作品より、作者その人に心酔しているのかも知れない」と締めている。これぞ読書の醍醐味というものか。(2024.12)

December 22, 2024

戦争と経済

この委員会は、ドイツからの賠償金を受領し連合国の各中央銀行に支払うための国際金融機関の設立も提案する。これが1929年6月に設立された国際決済銀行(BIS)である。

「戦争と経済」小野圭司著(日本経済新聞出版)

防衛省防衛研究所特別研究官が価値観をまじえず、あくまで経済活動としての戦争をドライに語った1冊。個々の戦史ではなく、財政、金融、通商など経済学の分野ごとに、古今東西を俯瞰していく。オタクだけれど平易な記述が、小さい活字で250ページにぎっしり。現在進行形の事象でもあると思うと正直、暗澹とするけれど、国際情勢をみるうえで誰もが年頭におくべき視座だとも思う。

例えば日露戦争のくだりで、単純化するとロシアが清国に貸した資金が日清戦争の賠償金として日本に渡り、対露戦準備の軍備増強に充てられ、英独などへの武器輸入代金として支払われたという。ちなみにこの資金移動の多くは、イングランド銀行などシティの帳簿処理だったとか。
十字軍の護衛として発足した宗教的存在のテンプル騎士団が、軍事はもちろん徴税請負や開運、銀行まで手がけるようになるプロセスなども興味深い。(2024.12)

November 13, 2024

トヨタ 中国の怪物

中国人はどんな境遇になってもね、生きようとするんだよ。

「トヨタ 中国の怪物」児玉博著(文藝春秋)

トヨタの中国事務所総代表だった服部悦雄氏へのロングインタビューをもとに、日本を代表する企業の中国ビジネスの歴史と、世襲経営の内実を描く。話題になっているときいて、電子書籍で。
著者は経済誌のフリーライターで、堤清二、西田厚聰ら異能の企業人を描き、大宅壮一ノンフィクション賞も受けたフリーライター。そんな著者だからこそ引き出せたのだろう。温泉施設の居酒屋で焼酎の水割りを傾けながら語る服部氏の、暗い熱情が全編を覆って息苦しい。
熱情とは、否応なく人生をかけた存在に対する愛憎だ。誰よりもビジネスにたけ、組織につくした。強烈な自負と、報われなかったという砂を噛む思い。規格外の企業人にありがちな結末と、言ってしまえばそれまでだけれど、対象が中国、トヨタという、いずれも現在の日本にとってあまりに大きな存在だけに、興味は尽きない。

服部氏は昭和初期に満州に渡った農林官僚の息子で、毛沢東の大躍進、文化大革命に遭遇。原生林での強制労働など饑餓、極寒、差別と圧倒的な孤独から這い上がり、東北林学院への進学をへて27歳で帰国する。トヨタに入社してからは中興の祖・豊田英二と上司の奥田碩の目にとまり、中国ビジネスを任されてがむしゃらに出世していく。
まず現在の中国を形づくった近代史、権力の暴走と、生き残ろうとする庶民のパワーが凄まじい。日本にとっては常に魅力的な隣の巨大市場なわけで、国交正常化後は政官産あげて製鉄などのプロジェクトを推進するが、どうしてどうして一筋縄ではいかないこともよくわかる。

トヨタはどうだったか。実は豊田佐吉は「障子を開けてみよ、外は広いぞ」と語って上海に進出、その紡織の稼ぎが自動車製造につながったというルーツをもつ。英二も熱心で、周恩来、田中角栄の国交正常化セレモニーを、トヨタ本社で中国側の訪日団とともに見守るシーンは印象的だ。この一行の通訳と世話役を務めたのが服部。
しかし長く部品を供給するだけで、生産の許可がなかなか下りない。ライバルに引き離され、合弁相手の巨額不良債権など、常識が通じない不透明さに苦しむ。そんな泥沼からの脱出を命じられたのが、御曹司・章男だ。服部はその章男に頭を下げられて奮闘。経歴と語学、なにより底辺で身に染みた中国人気質への理解を総動員して党幹部に食い込み、類い希な交渉力で買収による反転攻勢という離れ業をやってのける… まさに産業史の一断面だ。

平行して語られるのが、このあたりのトヨタ奥の院。服部の目を通した一面的なものとはいえ、時価総額40兆円企業の内実としては驚きだ。特に奥田碩の人物像が強烈。ギャンブル好きで、並外れた闘争心をもつ。章男に中国立て直しを命じたのは、失敗すれば創業家を経営から外せるという策略だったという。
もくろみは外れ、服部は豊田章男を社長にした男と呼ばれるに至る。ところがやがて、カネをめぐる疑惑などで挫折していく。異能ゆえに独善的、傲慢と目されたのは、容易に想像できる感じ。このあたりの確執は、企業ドキュメンタリーの定番と言えるかも。(2024.11)

October 25, 2024

われ巣鴨に出頭せず

「今夜できる限りのことをお父さんから聞いて、書き残しておきなさい」
「そんなことできるでしょうか」

「われ巣鴨に出頭せず」工藤美代子著(日本経済新聞社)

長く荻窪に住んで、子供のころ「近衛さんの坂」と呼んでいた道があった。近衛文麿の邸宅「荻外荘」の跡だ。1940年に東条英機らと開戦の方針を協議した荻窪会談の舞台となり、のちにGHQの逮捕命令が出て出頭期限となる日の朝には、近衛がその一間で自ら命を絶った。享年54歳。その近衛の生涯を、吉田茂の評伝などで知られるノンフィクション作家が追ったのが本作。
2006年の出版で、冒頭「かつての広壮な屋敷はマンションや駐車場に分断され」と記しているが、2024年末に杉並区による移築復元が成り、公開されると知って、そもそも近衛さんとは?と思い、本書を手にとった。

いわずとしれた近衛は1937年から41年にかけて3次にわたり首相を務めた人物で、1937年の「全国民に次ぐ」宣言で日本の全体主義化を決定づけ、大本営や大政翼賛会、国家総動員法を設置。戦争責任の重さにはさまざまな見解がある。本書はいきなり自殺の日の描写から始っていて、その結末を知ってからの細かい字で430ページは、どうにも息苦しい。

若き日はクラクラするようなエリートなのだ。学習院進学が一般的だった華族ながら、東大や京大で哲学、経済学を学び、生まれながらにリーダーとして期待を負う。25歳で貴族院議員。1934年に渡米した折には、なんとルーズベルト大統領、ハル国務長官と会談しており、首相並みの扱いだ。
なにせ家系図のはじまりは藤原鎌足。五摂家の筆頭で、最も天皇に近い。昭和天皇に会うとき、だれもが畏まるのに、近衛は部屋に入ってくるなり天皇の前の椅子にかけて、足を組んじゃうものだから、お付きがハラハラしたとか。そんな幼なじみのような2人の関係が、側近・木戸幸一の存在や軍部内の確執によって、どんどん隔てられていくのが悲しい。

同時に昭和天皇も元老・西園寺公望も、近衛におおいに期待しつつ、その言動を危ぶんでもいるところが、複雑だ。学生時代は社会主義思想に傾倒し、議員としては改革派。一次大戦後の1919年、パリ講和会議に西園寺の随員として参加し、英米本位の国際秩序に強烈な反感をもつ。軍部では二・二六事件を引き起こした皇道派に近かった。スパイ・ゾルゲと親しく、ソ連への機密漏洩も疑われた。
日中戦争から太平洋戦争へと突き進む一方で、和平の努力をしていたのは事実。ただ優柔不断、無責任と評され、1940年の三国同盟交渉では天皇がいつになく深刻な表情で、「近衛はああかき回しておいて、じき逃げ出すのではないか」と語ったとも。

自ら冷たいところがあるという性格で、外見は身長180㎝、スポーツマンだが病弱。孤高の存在だったのか…
最終的に敗戦後、一度はマッカーサーや天皇から憲法改正案の策定を委嘱され、熱心に取り組みながら、結局、戦犯と目された。全編のハイライトはロンドンのナショナル・アーカイブで発掘した、前後の米政府・戦略爆撃調査団による尋問録だろう。通訳の牛場友彦だけが同行、駆逐艦「アンコン」での長時間の尋問を読み解いた著者は、近衛への追及に対して同情的にみえる。ただ、読んでいて思うのは近衛個人の罪というより、こうなるまえに誰かがどこかで止められなかったのか、という圧倒的な虚しさだ。

歴史の場面場面で運命が交差する著名人が、多々登場。近衛と気脈を通じて、終戦工作にあたる吉田茂の存在感が印象的だ。(2024.10)

«イラク水滸伝