August 16, 2016

あなたを選んでくれるもの

わたしは目を閉じて、そう気づかされるたびにいつもやって来る、ズシンという静かな衝撃波を全身で受け止めた。それはわたしがボンネットみたいに頭にかぶって顎の下でぎゅっと結わえつけているちんまりしたニセの現実が、巨大で不可解な本物の現実世界に取って代わられる音だった。

「あなたを選んでくれるもの」ミランダ・ジュライ著(新潮クレスト・ブックス)

岸本佐和子訳で2015年に話題だった一冊をようやく。2010年の小説も評判だっただけに、実はあまり予備知識なく読み始め、フィクションではなくフォトドキュメンタリーと知って驚く。豊かな社会の片隅に、確かにある貧しさ、孤独。庶民の現実は容赦ないけれど、それを受け止めてこそ知る一人ひとりのかけがえのなさが胸にしみる。

映画の脚本に行き詰った著者はなんとか突破口を開こうと、手元にあるジャンクなフリーぺーパーに「売ります」広告を出す人々に会ってみようと思いつく。電話でほぼ行き当たりばったりアポをとり、家を訪ねて出会う売主たちの肖像が、まず衝撃だ。なにしろしょっぱなが、60代で性転換途中のマイケル。小さい声で話し、生活保護でひとり暮らしし、「毎日をエンジョイしていのね。だからいつも幸せなの」。ブリジット・サイアーの写真が雄弁。

パソコンを使わず、絶滅寸前の紙媒体で、手持ちのオタマジャクシやら他人が遺した家族写真やらを売り、小金を手にしようとする人たち。はっきり語らなくても、どこか滑稽で、生きにくさを抱えていて、ちょっと目を背けたくなるシーンもある。でもそれは、ほんの表面に過ぎない。これは取材相手というより著者がインタビューを重ねることで、家族や死や創作、そして時間というものに向き合っていくドキュメンタリーだ。

ジュライは2005年に長編映画デビューでカンヌのカメラ・ドールをとったアーティスト。子供のころ、父は彼女によりによって「24人のビリー・ミリガン」を読んで聞かせたという。バークレーの私立高時代には、新聞の告知欄で見つけた服役中の殺人犯と文通していた。芸術的で感受性が強くて、面倒くさい。約束の町に早めに着き、近所をドライブして時間をつぶすうちに、結局遅れちゃう。そんな人だ。

大切な存在を手に入れれば、やがてはそれを失うことになる。日々を重ねていけば、どうしたって残りは少なくなり、もうたいしたことも成し遂げられないと思い知ることになる。「40を過ぎたら残りはもう小銭」。たいていの普通の人生は、さして意味はない。でも少しのユーモアと愛情と真摯さがあれば、小さくても確かな輝きを放つ。
著者はやがて突破口をみつけ、創作に立ち向かっていく。ほとんど偶然の、リアルな出会いによって。意味は違うんだけど、ちょっと前に読んだ「永い言い訳」の「人生は、他者だ」というセリフを思い出した。(2016・8)

July 31, 2016

インドで考えたこと

この土地で、この自然に対抗して、人間のあかしを立て、存在を証明するためにうちたてられた無類の思想が、極東の島に住む、われわれの祖先の人間のあかし、存在証明の手伝いをしてくれたのである。

「インドで考えたこと」堀田善衛著(岩波新書)

この夏のインドシリーズの仕上げとして、1957年第1刷発行、いわば古典的インド紀行を読んでみた。1918年生まれの作家が、「アジア作家会議」の事務局メンバーとして56年末から2カ月ほど滞在。その間の見聞や感じたことを綴っていく。

もちろんまだソ連が存在し、南北ベトナムの対立にも言及しているから、時代状況は今とずいぶん違っていて、読みながら奇妙な感じさえする。遅れた国々が独立し、発展を目指すうえで、共産主義に接近することに、強い希望が漂う。
とはいえ著者が現地の人々や、会議に集まってきた各国の作家たちとの交流を通じて、日本のよって立つところを探る真摯な言葉には、一定の普遍性がありそうだ。「デリーにいて、私は自分の視線がぐいぐいと伸びて行くのを感じた。」と著者は書く。

日本はアジアの一員、というのが大前提。といっても、ごくごく片隅の存在であることが、まず強烈に意識される。広大な中国があり、東南アジア、ソ連の一部だった中央アジアの国々があり、中東を経てトルコへ至る。そう思うと今さらながら、いかに文化、宗教の振り幅が大きいことか。現代の日本文化もいくばくかは、そんな悠久のアジア精神に根っこがあるはずだ。
一方で、日本が経験してきた明治維新から戦後に至る欧米文化の受容とか、経済発展とかは、いかにも非連続。アジアと一口に括るには、どこか異質だ。これは単に融通無碍の民族性というべきか、見えないふりをしているけれど、大きな矛盾というべきなのか?

すっきりした結論や主張というのではないけれど、様々な思考を引き出すのが、インドという国の魅力なのか。文化的、社会的混沌が、なにやら深く豊かなものに思えてくる。(2016・7)

July 08, 2016

河童が覗いたインド

どの紙幣にも表か裏に、必ず14種の文字で金額が列記してある。

「河童が覗いたインド」妹尾河童著(新潮文庫)

この夏のインドシリーズ第2弾は、1985年刊の旅行記。お馴染みの舞台美術家が、驚異的な好奇心で亜大陸を歩きまわり、細密スケッチ、手書き文字で描き出す。
「聖なる河」「聖なる牛」、油断ならないタクシー運転手、しつこい自称ガイド、超効率が悪い役所…。30年もたっているのだから、今ではもうだいぶ、事情が違うのだろうけど、どうも変わらなそうな気がすること。それは、ごった煮の多様性ではないか。
とにかく人が大勢いて、誰もが身勝手で、小ずるくて。でも隣の人が自分と同じ方向を向いてなくても、それはそれで気にしない、というイメージ。あくまでイメージですが。
そんなパワフルなインドに決して負けないのが、著者の個性。自分の興味関心に忠実で、面白くて、拘りが強い。そばにいたらきっと、ヘビーなんだろうなあ。(2016・7)

July 01, 2016

永い言い訳

幸夫くん。もう私、行かなきゃなんだけど。

「永い言い訳」西川美和著(文藝春秋)

人気作家・幸夫は、すでに心の離れていた妻を、突然の事故で亡くす。テレビカメラの前で悲しみを語りながら、実際には涙も出ず、心中冷え冷えとした日々。そこへ大宮家の面々、同じ事故で亡くなった妻の親友の夫・陽一、幼い子供・真平と灯が現れる。

まず幸夫の造形が絶妙だ。女性にもてて、知的でクイズ番組なんかに出ながら、物書きとしては行き詰まりを感じている。子供の頃から、名前の読みがマッチョな野球選手と同じなことを嫌がってきた、自意識のかたまり。売れないころ生活を支えた妻に、ずっと引け目がぬぐえなかった、いじけ虫。
ネガティブで身勝手で面倒臭くて、つくづくリアルだ。大人はたいてい、リアルを上手に隠して生きていくのだ。突然、配偶者を失ったりしなければ。

トラック運転手の陽一は、対照的に率直だ。子供たちも健気に、突然母に去られたショックと戦う。幸夫はそんな大宮家の面々に、柄にもなく関わって、心惹かれ、苛立ち、傷つける。そしてたどり着く、きっぱりと、さびしい背中。

「人生は、他者だ」。心に染みいる言い訳を綴れるようになるまで、編集者やら、妻の同僚やら、事故遺族のドキュメンタリーを撮るクルーのアシスタントやら、幸夫をとりまく数多くの視点をつないで、心理の揺れを表現していく。それぞれに説得力があって、読みやすい。
著者は言わずと知れた、才色兼備の映画監督にして作家。巧いです。2016年に映画化。(2016・6)

June 28, 2016

資生堂インパクト

「女性社員のやる気がみえない」と嘆く企業は、自分たちの言動や女性社員の待遇・育成方針、職場環境に問題がないかを一度考えてみるといい。

「資生堂インパクト」石塚由紀夫著(日本経済新聞出版社)

資生堂は2013年、「育児のため時短勤務を選んでいる社員も遅番、土日勤務に加わるように」という厳しい方針を打ち出した。手厚い育児支援などで従来、「女性にやさしい会社」として知られていただけに、「業績難から逆コースに踏み出した」と議論を呼び、メディアでは「資生堂ショック」と取り沙汰された。果たして経営者の狙いは何だったのか、現場の管理職や当の女性社員はどう受け止めたのかを、丹念に検証する。

おりしも少子高齢化による労働人口の減少への対策として、「女性活躍推進法」が動き出した2014年。政府は女性の管理職への登用の旗を振り始めた。女性を多く採用し、子育て期に働き続けるために勤務を軽減する。その先に、管理職への道が自然に開けるのか? 責任を担っていく意欲の醸成、すなわち女性にとって「働きやすい会社」から「働き甲斐のある会社」へと、視点を替えなければならないのではないか。

経営という冷徹な現実の前に、資生堂の試みは選択肢のひとつでしかないだろう。それでもこの葛藤が、多くの経営者や管理職や働く人々にとって、決して他人事でないのは確かだ。(2016・6)

June 22, 2016

インド旅行記1

いざ彼の地に足を踏み入れてみると、想像を遥かに凌ぐハプニング続きで、たかだか映画一本の撮影を終えたくらいで疲れたなどと言ってはいられないほど、無秩序で壮絶な現実が目の前に横たわっていた。

「インド旅行記1 北インド編」中谷美紀著(幻冬舎文庫)

今夏の個人的テーマである、インド関連本の1冊目に手にとった。かつて知人に勧められた旅行記で、女優さんが単身インドへ向かう。
ヨガ体験が目的だそうで、いわゆるインド一人旅のイメージからすると、のんびりめだ。消毒のためチューブのワサビをなめつつ、ガイドを雇って定番の観光地を巡る。アシュラム(滞在型のヨガセンター)は覗くだけで、ホテルにとまってマッサージを受けたりして、けっこう贅沢だ。

そうかと思うと胃腸の不調やら、しつこい物売りやらはもちろん、パスポートを盗まれて警察に行くといった大事件にも遭遇。読みすすみつつ、おおっとのけぞるだけど、面白いのはそういうイライラする出来事も、割合淡々と綴っているところ。彼女自身がものに動じない性格なのかもしれないけど、なんだかインドという土地が、あまりに多様で矛盾に満ちているせいかも、と思えてくる。(2016・6)

June 19, 2016

東京プリズン

「そうだな。やはり感服と言ったほうがいいな。なんたってひとつの民族がそれほど歴史を忘れて生きていけるとは!」

「東京プリズン」赤坂真理著(河出文庫)

2010年から2012年の雑誌連載を2012年に単行本化。毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部文学賞を受け、2014年に文庫化された小説を、戦後70年をへた平和安全法制施行の年に読んでみた。

物語は重層的だ。メーンは1980年から81年、米メイン州の田舎町に留学した16歳のマリが、進級をかけた課題として全校公開ディベートに挑む過程を描く。テーマは難題「天皇の戦争責任」であり、1964年生まれの少女が突如、異国で単身挑む東京裁判だった。
そこに2009年から11年にかけ、成人し、離婚などをへて物書きになったマリが、留学当時やこれまでの暮らしを振り返るシーンが挟まる。30年の時をへだててつながる電話、というSF的仕掛けを駆使。かつて東京裁判資料の翻訳を手伝っていた母との、長い長い心のすれ違いから家業の行き詰まり、父の死、バブル崩壊、大震災まで、戦後ニッポンのひずみを描いていく。

正直、感受性の強い少女の独白とファンタジーという取り合わせは個人的にあまり得意でなく、500ページ強を読み取すのはなかなかきつかった。とはいえ議論の多い現代史に真摯に向き合い、考えようとする思いは伝わってくる。イメージの混沌のなかから、意外に率直な作家の姿が垣間見える。(2016・6)

May 20, 2016

経済学に何ができるか

その起源をどこまで遡れるかは別にして、われわれの知的遺産としての経済学の価値は一般に評される以上に大きいと筆者は考える。

「経済学に何ができるか」猪木武徳著(中公新書)

経済思想などの泰斗が、2010年春から1年間の新聞連載を中心に2012年に出版。タイミングはピケティブームの前ながら、ギリシャ危機やワーキング・プア問題を踏まえて、なぜ経済学は目前の諸問題を鮮やかに解決できないのか、今につながるテーマを考察する。

アリストテレス、アダム・スミス、ハイエク、フェルドシュタインと、古今の論説を縦横無尽に駆使。徴税という権力、中央銀行の独立、所得格差やマーケット倫理などのテーマを通じて、相反する利害の調整という、シンプルだけど普遍的な課題の難しさを突き詰めていく。この筆致の誠実さ。

市場と自由は万能ではない。どうしたって修正を繰り返す必要があって、そのとき価値を選択する装置がデモクラシーであるはずだ。前提になるのは知性への信頼であり、経済学ができることは判断に資する論理を提示するところまでだ、と著者は説く。こうした知性と品格を、多くの人が共有することがデモクラシーのインフラになるのだろう。巻末に経済用語や人名の検索付き。(2016・5)

April 29, 2016

天才と名人

ふたりが盟友であることと、好敵手であることは矛盾しない。ふたりは本気で、競いあって生きてきたのだ。すべてを賭けて、競いあって生きてきたのだ。その葛藤は、彼らのこころのうちにあって、だれにもわからない。

「天才と名人」長谷部浩著(文春新書)

天性の華で広く愛された中村勘三郎、そして抜群の踊りの名手10世坂東三津五郎。タイプは違えど、実力、人気とも梨園の中核を担った2人の芸の軌跡と素顔を、愛情をこめて綴る。著者は現代劇から出発して、伝統芸能をカバーした評論家であり、生前のそれぞれと親交があった。

私個人は歌舞伎を頻繁に観るようになって、まだ日が浅いのだけれど、読みながら2010年歌舞伎座さよなら公演で観た「助六」のシーンが甦った。祝祭的な、これぞ歌舞伎というべき演目で、2人は通人里暁と福山かつぎを演じていた。ともに飄々と力が抜け、自由で、それでいて色気たっぷり。盟友同士とはいえ、なにもまだ50代と、早すぎる死まで足並みを揃えなくてよかったものをと、悔しい思いを新たにする。

勘三郎は確かな芸の継承はもとより、野田秀樹らの新作から、コクーンや海外での公演まで実現して、歌舞伎のファン層を広げた。けた外れの情熱とプロデュースの才で、時代を駆け抜けたといえるだろう。
対する三津五郎ももちろん人気者だけど、勘三郎に比べれば堅実。着々とメーンのポジションを固めつつ、華々しい親友の活躍を応援する役回りだ。しかしその三津五郎が平成中村座に出ない理由を問われて、「同じ座元だから」と答えるところが感慨深い。
現代に生きるスターであり、互いに認めあう関係。それでも、それぞれ背負う江戸以来の「家」を意識しているし、覚悟を胸に秘めている。そのうえでの古典。深いなあ。(2016・4)

April 18, 2016

若冲

真に自分のためだけであれば、なにもこうまで細やかな絵を描かずともよかろうと思うのは、拙僧の勘ぐりかのう

「若冲」澤田瞳子著(文芸春秋)

奇想の絵師・若冲の生涯を、新田次郎賞作家が大胆な解釈で描く連作集。生誕300年記念で、代表作を一堂に集めた展覧会に出掛ける前に、手に取った。

にわか若冲ファンの私にとって最大の興味はやはり、代表作「動植綵絵」30幅の成り立ちだ。ほぼ独学で絵師となった若冲が、どのようにしてあれほどに細密で、色鮮やかな、そして誰にも媚びない圧倒的な作品群を描きおおせたのか?
著者の工夫は、記録に残っていない妻がいた、という設定だろう。若妻の死に対する贖罪、さらには贋作者となった義弟との確執を創造して、絵師の情熱の源となった深い苦悩を描いてみせる。

若冲は京・錦市場にある青物問屋の大店に生まれながら、40歳で隠居してしまい、画業三昧に暮らした。なんとなく人付き合いの苦手な偏屈者なのかな、と思っていた。
ところが近年の研究で、意外な一面がわかってきた。市場閉鎖の危機にあたって、町年寄を率いて回避に尽力したこともあるというのだ。本作では、そうした研究成果を取り入れ、人間味ある人物像を構築。「動植綵絵」はもちろん、全く趣向の違う「鳥獣花木図屏風」や「石灯籠図屏風」などが生まれた背景に触れていて、イメージが膨らむ。

同時代に生きた池大雅や円山応挙、谷文晁らの豊かな個性や、天明の大火の惨状もリアル。フィクションだけど、エキサイティングな展覧会の予習となった。(2016・4)

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