February 19, 2015

フラニーとズーイ

「そうだよ。僕は潰瘍持ちだ。実に。今はカリユガなんだ。鉄器時代なんだ。十六歳以上で潰瘍持ちじゃないやつなんて全員スパイだ」

「フラニーとズーイ」J.D.サリンジャー著(新潮文庫)

華やかで都会的な若者の憂鬱を、長大な会話で描き、1961年の単行本となったサリンジャーの青春小説を、2014年の村上春樹による文庫向け新訳で読む。

グラス家7人兄弟の末娘フラニーは、周囲がどうしようもなく俗物に思えて、名門大学に通う恋人とのデートを台無しにしてしまう。ふさぎ込む妹を、俳優の兄ズーイが才気あふれる言葉で救い出す。
若者の悩みは、なんだか贅沢にも思える。両親は芸能人で、兄弟は幼いころ神童として、順にラジオ番組に出演していた。今はニューヨークに暮らし、美しくて優秀。おまけに宗教への言及は正直、ぴんとこないところもある。
それでも300ページ弱の薄い文庫に、普遍的な感覚が詰まっている。社会にうまく溶け込めない焦り、エゴとプライド、大切な人への気遣いなどは普遍的だ。そのへんに無造作に置かれた細い葉巻など、ディテールが映画的。

著者が「まえがき」「あとがき」を禁じていたため、「投げ込み」形式で、訳者の特別エッセイが付いていてちょっとお洒落。(2015・2)

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February 06, 2015

その女アレックス

人は本当の意味で自分自身に向き合うとき、涙を流さずにはいられない。

「その女アレックス」ピエール・ルメートル著(文春文庫)

2011年にフランスで刊行し、イギリス推理作家協会賞を受賞。さらに翻訳が2014年のミステリーランキング海外部門を総なめにした話題の犯罪小説を、電子書籍で。

とにかくテンポが速い。思わず振り返るような30歳の美女、アレックスがパリの路上でいきなり拉致されるところから始まって、壮絶な暴力描写が畳みかけられる。目を覆うばかりのシーンが続くのだけれど、同時に謎の女の正体、事件の様相そのものが二転三転していくので、感情をぶんぶん振り回されて読むのを止められない。何はともあれ、サスペンスや警察ものなど異質なミステリー要素を1作に盛り込み、ぐいぐい引っ張る筆力は並大抵でない。

人物の造形も強烈。なんといっても幼く、几帳面で、悲壮なタイトロールの存在が異彩を放つ。ずっと持ち歩いている思い出のガラクタとか、細部が鮮やかだ。
一方、アレックスを追うカミーユ警部のキャラも独創的で、身長145センチの小柄な体に刑事魂と反骨がみなぎる一方、過去経験した悲劇によって心に傷を抱えている。そんなカミーユの深い孤独が、姿なきアレックスと共鳴していく展開がなんとも切ない。
けれどもカミーユはアレックスとは違う。皮肉で気難しいたちなのに、彼に負けず劣らず個性的な仲間たちが理解し、見守っていて、それは殺伐とした小説の中で一筋の救いになっている。

ショッキングな描写のあざとさや、一人称語りによる矛盾、破綻など、難点を指摘する声もあるらしい。確かにお世辞にも爽快とは言えないし、肝心なところが理屈に合わない気もするけれど、強引なまでに読者を引っ張るパワーを持つことは間違いない。橘明美訳。(2015・1)

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January 24, 2015

末期を超えて

ALSは努力すれば勝てる、乗り越えられるという病気ではありません。むしろ自分をオープンにして、人の助けを求めることができた人から生きる道が開かれていくようです。

「末期を超えて」川口有美子著(青土社)

2014年にビル・ゲイツや山中伸弥ら著名人が多数参加した啓蒙活動、「アイスバケツ・チャレンジ」で話題になった難病ALS。過酷な病いにおかされた母を10年以上自宅で介護し、ヘルパー養成や介護派遣事業に携わる著者が、当事者、支援者7人との対話を通じて、希望のありようを問いかける。

24時間の見守りが必要で、食事、移動はおろかコミュニケーションの手段さえ徐々に失われていく。無差別に直面させられる本人はもちろん、家族にとってもその境遇は、想像を絶する厳しさだ。
しかし絶望、諦めに飲み込まれることなく、自ら支援者を育て、行政と掛け合い、国内、海外問わず叱咤激励を惜しまない。強靭な意志と明るさをもつ患者の存在に、まず心を奪われる。
今や先端の科学は、SFもびっくりの様々な技術を開発し、困難な境遇の患者が生きていくこと、時には自宅で独居することに道を開きつつある。周囲の情熱、そして余計なおせっかいにも踏み込んでいく勇気。

シンプルな理論では割り切れない膨大な闘いの先に、患者文化、それぞれの生きようへの深い思索が立ち上ってくる。きっと長い長い年月、考え続けることが必要な領域。この社会には、そういう領域があるのだ。(2015・1)

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January 17, 2015

絶叫

「自分ら、捨てられてんねん。表から見えんようにされ、いないことにされとる、見えざる棄民やねん」

「絶叫」葉真中顕著(光文社)

住宅街の単身者用マンションで、女性の遺体が見つかる。刑事・奥貫綾乃は孤独死した鈴木陽子の人生をたどるうち、驚くべき事実に行きあたる。日本ミステリー文学大賞新人賞作家の受賞後第1作を電子書籍で。

家族離散、ワーキングプアとブラック企業、そして生活保護ビジネス。1973年生まれ、団塊ジュニア世代の平凡な女がどう転落していったのか。社会のひずみを容赦ない筆致で描いていて、迫力がある。
一つひとつは3面記事でよく目にする様相の事件だけれど、罠に落ち込む人には落ち込むなりの経緯があって、たいていの悲惨な事件は、被害者、加害者の境遇が絶望的につながりあっている。特にネット右翼の心理あたりが強烈だ。鈴木陽子の人生の折々に差し挟まれる当時のニュースや流行歌が、リアルさを引き立てる。

と、そんな社会派の側面に気を取られていたら、終盤、ミステリー要素に一気に足をすくわれる。鈴木陽子の人生をたどるうち、共鳴していく奥貫の語り手としての存在が、実に巧妙な仕掛けになっていて、見事だ。
すぐ隣にいるかもしれない人物が抱える、深い闇と哀しい覚悟。正邪が混沌とする社会観と、「6本指の男」など鮮やかに映像が浮かぶエンタメ性とのブレンドは、ちょっと桐野夏生を思わせる。(2015・1)

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January 13, 2015

マスカレード・ホテル

「私たちはお客様の幸福を祈っています。でも自分たちが無力であることもわかっています。だからこそ、御出発のお客様には、こう声をおかけするのです。お気をつけて行ってらっしゃいませ、と」

「マスカレード・ホテル」東野圭吾著(集英社文庫)

2011年に単行本が出版された新シリーズの1作目。都内で謎に包まれた連続殺人が勃発。次の犯行現場とわかったのは、一流ホテルのコルテシア東京だった。事件を食い止めるため、新田浩介は刑事らしからぬ、すらっとした外見と英語力をかわれてホテルマンに扮し、現場に潜入する。偽装工作の指導役となったのは、責任感の強い優秀なフロントクラーク、山岸尚美だった。

ホテルが舞台だけど、単なるオムニバスのグランドホテル形式ではない。次々に訪れるいわくありげな客たちの様々なアクシデントと人間模様が、メーンの事件の謎解きに繋がっていく緻密な展開だ。相変わらずのリーダビリティの高さで、短い旅行の間に一気読み。

ミステリーというだけでなく、職場の舞台裏を覗き見るお仕事小説の色彩もある。高級バーやパーティー会場など、ホテルは華やかで大人っぽい場所だけれど、スタッフには利用客のどんな我儘も受け止めるといった、苦労も多い。ホテルでは客は仮面をつけている。彼らの事情を受け止めつつ、どうさばくか。
当初は山岸が説く「サービスの本質」に反発する新田も、徐々にその真意を理解していく。価値観の違う若い主役2人が、仕事を通して互いのプライドを認め合う展開は爽やかだ。

映像化も楽しみ。山岸役は水川あさみ、とかかなあ。(2015・1)

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December 25, 2014

歌舞伎 家と血と藝

本書は、戦国武将列伝の歌舞伎役者版を描くつもりで書かれる。歌舞伎をあまり観たことのない人にも、あたかも戦国時代の武将たちの興亡のドラマを読むような感覚で読んでいただければ、ありがたい。

「歌舞伎 家と血と藝」中川右介著(講談社現代新書)

クラシック音楽などもカバーする1960年生まれの評論家が、明治からの歌舞伎の「家」の勢力図を解説する。選んだのは、2013年の歌舞伎座新開場こけら落とし公演で主役を務めた役者のいる家7つ。

ここ数年、劇場に足を運ぶようになった素人歌舞伎ファンにとっては、なかなか勉強になる1冊だ。現代では貴族階級はいなくなったけど、歌舞伎役者は擬似的貴族だと著者は指摘する。歌舞伎座の主役の座という「権力」を握るためには、芸の実力、人気はもちろん、政治力が必要であり、その裏付けになるのが門閥という格式なのだそうだ。
まさに戦国武将の世界だ。役者は今やテレビのバラエティーやCMに出演したり、家族まで公開したブログが話題になったり、とても身近な存在だ。むしろそのタレント性を売り物にしている感もある。それなのにいまだに昔ながらの価値観が脈々と生きて、それが国民的合意になっているってことが、とっても不思議。

門閥の歴史をたどるうえでは、個々の芸談よりも「権力」をめぐる栄枯盛衰に重点を置いている。確執やらスキャンダルやら、バックステージに表舞台さながらのドラマが満載なのは期待通り。
もっとも肝心の人間関係があまりに複雑なので、正直、読んでいてかなりこんがらがる。襲名を繰り返して同じ人物の名前がどんどん変わっちゃうし、養子とか部屋子とか、でも実子かもしれないとか、さらに門閥を超えて結婚したり、養子縁組したりが多くて、誰と誰が甥だか孫だか。だからこそ、少しでも歴史を頭に入れて、それぞれの役者が受け継ごうとしている「型」へのこだわりや背負っているものに感情移入できれば、観劇の味わいが増すということなんだろう。そのレベルに到達すると、観る側も深みにはまりそうだな。

というわけで「リアル戦国」は非常に特殊な、閉じた世界のストーリーなのだが、読み進むうちに普遍的な人間社会の要素も浮かんでくる。
家柄が立派な役者で、芸や人気が十分であっても、本人が権力に強く拘泥しなければ、決して長く主役というポストに君臨できない。また本人の力と意欲が十分でも、上の世代がスター揃いだとなかなか主役が回ってこなくて、結局トップに上り詰められない。
だから最近の出来事でいえば、12代目市川団十郎、18代目中村勘三郎という巨星を早く失ったことは、ファンとしてとても残念だけれど、その分、市川海老蔵、尾上菊之助、市川染五郎、中村勘九郎・七之助ら息子の世代にスポットがあたり、彼らの成長がぐんと楽しみになる。宝塚やジャニーズにも一脈通じる完成した興行モデルであり、伝統芸能継承の仕掛けといえるかもしれない。(2014・12)

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December 24, 2014

談春 古往今来

俺はほんとに偶然と奇跡の産物なんで。

「談春 古往今来」立川談春著(新潮社)

入門30周年、古典を語らせたら当代きっての実力派、チケットがとれない人気噺家が、2003年から10年の間に複数のメディアに掲載されたインタビュー、対談、エッセイ25編をまとめた。書き手泣かせの、屈折していて、なかなかに面倒なキャラが魅力的だ。

平成落語ブームに対する反発、2006年の7夜連続独演会への意気込みを語る導入部分は、気負い満々。2008年に著書がヒットした後あたりから、読む側の期待を時にはぐらかすような口調が多くなる。
落語に関する深い思索、強烈な自負と、それとは裏腹なネガティブ思考や不安。それは人気芸人ならではの、移り気な世間との距離のとり方なのか。

やがて2012年、偉大な師匠立川談志と、敬愛する18代目中村勘三郎を相次いで失って、相変わらず屈折しながらも、前に進んでいくしかない、という覚悟がのぞきはじめる。嘘をつく商売だから、発言はいつも虚実ないまぜ。でも実は、すべてが本音なのかも、と思わせる。これからも茶目っ気と凄みで、たっぷり楽しませてほしいものです!
鈴木心のモノクロ写真が端正だ。単独公演演目リスト付き。(2014・12)

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December 10, 2014

本にだって雄と雌があります

文集に将来の夢のベスト・スリーをそれぞれ発表するコーナーがあったのだが、何を隠そう私は第三位のところに「小説家」と書いていた。これだけでもう執行猶予のつかない懲役四年ぐらいだ。しかしこれは奈落へと至る三段跳びのホップに過ぎなかった。というのも、私はさらに第二位の欄には「中説家」、そして第一の欄には狙い過たず「大説家」と書いてしまったのだ。死刑確定で再審請求も却下だ。大、中、小、この三段構えの冗談を思いついた小学校六年生の私の心は亢竜のごとく舞いあがり、これで一生喰いっぱぐれない、このギャグ一つで世界を回れる、と思った。日本語なのに。

「本にだって雄と雌があります」小田雅久仁著(新潮社)

2012年Twitter文学賞国内編第1位に輝く、奇想天外な圧巻ファンタジーを電子書籍で。全編がごく平凡そうな男・博が息子の恵次郎に、深井家の歴史を伝える長大な手記の形をとっている。その物語には、本と本から本が生まれ、まるで鳥のように飛び回っちゃう「幻書」の奇跡がまつわっていた。

大変な力技だ。とにかく全編を彩る無駄な笑いがリズミカルかつ強引で、ぐいぐい持っていかれる。そうして何が本筋なのが判然としないまま、ニタニタしているうちに、読む者は壮大な夢に巻き込まれちゃう。
それは本好きなら、誰もが一度は想像するであろう2つの夢だ。1つは、家にある本がどんどん増殖しちゃう謎の正体。自分で手に入れているくせに、不思議としか思えない。そしてもう1つは、世界のどこかに古今東西の書物が集まった理想郷があるというイメージだ。好きな本、無尽蔵な人類の智恵を、時間無制限に読みまくれる図書館。

饒舌なギャグと幻想とのミックスを、見事なディテール、膨大な情報が支える。帝大生で後に学者・文筆家になり、生涯脱力するようなジョークばかり言っていた祖父與次郎と、後年は画家になるおきゃんな祖母ミキ。この個性的なおしどり夫婦の若き日の馴れ染めが、なんともチャーミングだ。古風な青春の眩しいこと。

対照的に、與次郎が青年期に経験した壮絶なボルネオの戦闘、そして昭和61年に彼を襲った飛行機事故の恐怖は壮絶。昭和史の明暗が、リアルに描かれていて引き込まれる。

長大な物語の終盤、目いっぱい広がった大風呂敷が畳まれてみれば、これは「人から人へ伝わっていくこと」の愛おしさにまつわる物語だとわかってくる。あらゆる書物、そして誰かの想い。「與次郎の人生が誰かの続きであったように、私の人生が誰かの続きであるように、君の人生もまた誰かの続きであるはずだから。」というくだりが、妙に胸にしみる。快作。(2014・12)

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November 28, 2014

「HHhH プラハ、1942年」

この場面も、その前の場面も、いかにもそれらしいが、まったくのフィクションだ。ずっと前に死んでしまって、もう自己弁護もできない人を操り人形のように動かすことほど破廉恥なことがあるだろうか!

「HHhH プラハ、1942年」ローラン・ビネ著(東京創元社)

個人的にチェコ、ドイツを旅した2014年の締めくくりに、本屋大賞翻訳部門の1位を周回遅れで読んだ。歴史小説を書くということ、それ自体を小説にした異色作だ。

描くのは、ナチ高官でチェコ総督代理だったハイドリヒの暗殺事件。暗号のようなHが並ぶタイトルは、「ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる」の略だ。
「第三帝国で最も危険な男」「金髪の野獣」と呼ばれた人物が、いかにしてできあがったか、チェコ亡命政府のパラシュート部隊員たちは、どのようにこの男の暗殺計画を実行したか。そして市井の支援者たちが、どれほど悲惨な目にあったか。
1972年パリ生まれの著者は、兵役でスロヴァキアに赴任した経験を持つ。チェコの人々や文化へのシンパシーを胸に、現場に足を運んだり史料をコピーしたりして、丹念に史実を掘り起こしていく。

面白いのは歴史の再構成のあいま、ところどころ著者本人が登場して、饒舌に語り出しちゃうこと。恋人に原稿を読ませて欠点を指摘され、大反省したり、登場する車の色といったディテールの真偽にこだわって、イライラしたり。
読者は一緒に事件をたどっていくうちに、著者と一体化する。やがて襲撃が決行されたプラハの曲がり角に連れていかれて、誰もが歴史の「目撃者」となるのだ。終盤、決行シーンの緊迫感が、なんと圧倒的なことか。

380ページの大部が全く苦にならず、力技と評されるのがよくわかる。ゴンクール賞最優秀新人賞受賞作。高橋啓訳。(2014・11)

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November 20, 2014

この世で一番おもしろいミクロ経済学

21世紀に入っても、ミクロ経済学の大問題は未だに大問題のままだ。個人にとっての最適化の結果が、集団全体にとってもよい結果になるのはどんな場合?

「この世で一番おもしろいミクロ経済学」ヨラム・バウマン著、グレディ・クライン・イラスト(ダイヤモンド社)

「経済学コメディアン」を自認するワシントン大講師による一般向け解説書。全編いかにもアメリカっぽい漫画なので、お洒落で読みやすい。とはいえ決しておちゃらけではなく、経済学教科書の大定番、マンキューの「10大原理」をカバーしているそうです。
需要・供給曲線から始めるのではなく、意思決定から入って、ゲーム理論の解説をたっぷり、という展開が今っぽい。市場の意味、「多人数の相互作用の総和」というポイントがすっと頭に入る感じだ。お馴染み山形浩生訳。(2014・11)

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