トノバン 音楽家、加藤和彦とその時代

お洒落で、才人で、飄々として、きら星のようなミュージシャンたちに影響を与えた加藤和彦の足跡を、ゆかりの人物へのインタビューでつづる。書籍「安井かずみがいた時代」で関心を持っていて、劇場へ足を運んだ。今は亡き高橋幸宏の言葉が、制作のきっかけだったとか。さまざまなドラマがある人だけど、本作は特に音楽家としての先進性が前面に出ていて、心地が良い。相原裕美監督。

70年代のサディスティック・ミカ・バンドは今聴いても格好いい。60年代に社会現象を起こしたフォークソングや、ミカ・バンド解散後の爛熟したヨーロッパ3部作などは正直、個人的にそう好みではない。だけど成功してもその場所にとどまらず、次々と多様なジャンルで創作し続けた才能に、改めて驚嘆する。
高中正義が「帰って来たヨッパライ」のイントロの新規性を解説。そうかー、コミックソングだと思っていたけど。

いまでいうインディーズから深夜ラジオのオンエアをきっかけにオリコン史上初のミリオンヒットをたたき出し、海外ミュージシャンに負けないライブを実現するためPA会社を設立。ミカバンドでは国内より先にロンドンで注目され、制作の過程ではマルチテープを思い切ってばっさり切っちゃうとか、常に一歩先を行き、時代を切り拓いていくエピソードにワクワクする。


お洒落伝説にはこと欠かない。中学生から「メンズクラブ」を読み、高校生のとき日本で2,3番目にボブ・ディランのアルバムを個人輸入して、すぐギターでコピーした。祖父のような仏師になろうと京都の仏教大学に進む一方、メンクラにメンバー募集の投稿をしてバンドを結成。ミュージシャンとしての地位を確立してからは、アルバム制作のたびにまず、アラバマだのバハマ、ベルリン、パリだので家を借りちゃう。愛妻ミカにねだられれば高額なロールスロイスを購入し、美食家としても一流…

そんな華やかさの一方で、証言の端々にどこか寂しさもつきまとう。ミカはビートルズも手がけたプロデューサー、クリス・トーマスの元へ走り、その傷心を救った大きな存在、ズズ(安井)も病で失う。多くのミュージシャンに尊敬されながら、朝妻一郎、新田和長、松山毅らとは徐々に疎遠になっていったらしい。日本人ばなれした長身のせいか、学生時代からいつも今いる場所に違和感を覚えていたよう、と語る盟友きたやまおさむの、最期を巡る言葉が悲痛だ。

多くのレコーディングに参加した坂本龍一(多分電話の録音)や、「結婚しようよ」でプロデュースを受けた吉田拓郎(ラジオ番組かな)らの証言音声が貴重だ。個人的にはサイクリング・ブギで弾ける竹内まりやの映像にびっくり! 一緒に音楽番組を持っていたとは。

| | | コメント (0)

アメリカンフィクション

評判をきいてアカデミー賞脚色賞受賞作を録画で。「不適切にもほどがある!」じゃないけれど、政治的正しさに対する風刺が満載の、ちょっと知的なコメディで面白い! どこまでがフィクションかわからなくなる幻惑的な、でもけっこう爽やかなラストも凝っている。コード・ジェファーソンはドラマ版「ウォッチメン」などの脚本家で長編初監督だし、オライオン配給だったけど日本では劇場公開無しで、アマゾンプライムの独占配信だし、と、いろいろ話題です。

主人公の純文学作家セロニアス・「モンク」・エリソン(ジェフリー・ライト)はインテリ中年男。高踏的な自作は鳴かず飛ばずなのに、白人がイメージする黒人の「リアル」(貧困と犯罪)を描いた小説はヒットして、いたくプライドが傷つく。病院で執拗に金属探知機をあてられるとか、差別は相変らずなのに、副業の大学で南部文学を語るのにNワードを使っただけで責められる。
モンクが頭にきて、偽名でベタな黒人小説「My Pafology」(Pathologyの黒人風言い回し)を出版社に送りつけたら、なんと大ウケ。タイトルをFワードにしろと無理難題をふっかけるけど、ますます受けて、映画化のオファーまで…というドタバタ。想定外の好反応に、いちいちがっくりくるモンクがチャーミングだ。
あげくモンクが審査員に起用された文学賞で、Fワードの小説が受賞しちゃって、著者としてスピーチをするハメに。表面的な評価しかできない文学界の裏、エンタメを差別の免罪符にしている世間の欺瞞を、存分にからかってます。
さりげなく壁にゴードン・パークスの写真「DollTest」(1940年代のクラーク夫妻の心理テスト)が掛かっていたり、偽名は「キレる黒人犯罪者」の代名詞スタッガー・リーのもじりだったり。敬語を使い、ランチで思わず上品な白ワインを注文すると「黒人らしくない」と驚かれるとか、小ネタ満載(たぶんわからないネタもあるんだろうなあ)で笑える。笑いながら、自分も世間のひとりだなあ、とちょっと反省。

原作はパーシヴァル・エヴェレットの2001年の小説「イレイジャー」。ラストのメタ構造などは映画オリジナルだそうで、原作の悲惨な要素を抑え、ヌルくなっているという批判もあるらしい。でも隣の弁護士コラライン(エリカ・アレクサンダー)との不器用な恋、老母の介護やゲイの兄弟(スターリング・K・ブラウン)との葛藤、妹リサの遺書のシーンなどなど、ドラマ要素が素直に染みて、巧いと思うな。
モンクがFワード小説を書く過程も面白い。書いているシーンがリアルに立ち現れ、登場人物が作家に「この話に意味があるか?」と問いかける。たとえ悪ふざけで書いたとしても、なにかしら作家の心情が投影される、創作の深淵。

ちなみに映画化を持ち込む胡散臭いプロデューサーの「『オスカー狙いの』というセリフがあり、そういう作品のオスカー受賞は初」という説もあるそうで、「社会派ジョーダン・ピールなどエレベイテッドへのあてこすりは映画ならではのエッジ」(宇多丸)とも。モンクだけにジャズのサウンドトラック(ローラ・カープマン)もお洒落。

| | | コメント (0)

オッペンハイマー

作品賞はじめ、アカデミー賞を席捲したクリストファー・ノーラン監督作。社会状況というより、原爆の父の内面をぐいぐい掘り下げていく。
全編を通じて不穏な「音」が怖い。特に戦勝祝賀会での、賞賛の足踏みの響きがオッペンハイマー(キリアン・マーフィーが熱演)の心をさいなみ始めるあたり、映画ならではの表現だ。
被爆国日本の運命、いまも続く軍拡競争(連鎖反応=チェーンリアクションがキーワード)を思えば、3時間、胸がざわつきっぱなしで、強烈だけど、決して気持ちの良い映画体験ではない。ユニバーサルの配給権を持つ東宝東和ではなく、ビターズ・エンド配給といういわく付きでもある。シネコンで。

ストーリーはロスアラモス初代所長として原爆開発に突き進む経緯と、1954年に赤狩りの嵐で研究生命を絶たれちゃうオッペンハイマー事件を行き来する(カラーがオッペンハイマー視点、モノクロがストローズ視点)。練り上げられた複雑な構成で、3時間、緊張が続いて効果的だ。
主題であるオッペンハイマーの造形は、根っこでは政治や軍に距離をおきたいピュアさを持つ。一方で、不倫の泥沼、尊大な態度など、他者につけこまれがちな弱さ、醜さも盛りだくさんで、その描写は容赦ない。特に若き日の英ケンブリッジ大での林檎のエピソード、独グッティンゲン大に転じてからの天才ハイゼンベルクとの遭遇は、原点としてのコンプレックスや焦りを印象づける。原爆開発の大国家プロジェクトを率いたとき、ユダヤ人だけにナチスを止める使命感があったのは確か。でも、それだけではなかったのではないか。
ロスアラモス建設の壮大さ(制作費1億ドル!)、人類初の核実験トリニティのシーンには高揚感があるものの、戦後、オッペンハイマーが水爆開発に反対してからは、トルーマン(ゲイリー・オールドマン)に「泣き虫」とばっさり切り捨てられ、野心満々の原子力委員長ストローズ(アイアンマン!のロバート・ダウニーJr)にぐいぐい追い詰められてと、観ていて息苦し過ぎ。

この息苦しさの本質は、オッペンハイマーのダメダメな造形や陰湿な人間関係ではなく、やはり人類史を変えてしまう学問というものの宿命なのだろう。繰り返される破滅の可能性は「ゼロではない」。でも誰かが知ってしまったら、もうなかったことにはできない。
オッペンハイマーは晩年、フェルミ賞を受賞するんだけど、その物理学者フェルミはフェルミパラドクス(宇宙人はなぜ人類に接触しないのか)を唱え、宇宙スケールで知性というものを考察していた。人類に、知を制御する知恵はないのか? 量子物理学を受け入れず、時代遅れともくされた偉人アインシュタイン(トム・コンティが飄々と、「神はサイコロを振らない」ですね)がその苦悩、悔恨を理解し、オッペンハイマーと共有していた、という仕掛けだけが救い。あの重要シーンが、ちょっとひんやりした屋外なのは、好みだな~

ちなみに女性たちの造形も華どころか、とにかく暗くて、妻キティのエミリー・ブラントは、アル中になったりして存在感たっぷり。不倫相手ジーンのフローレンス・ピューにいたっては圧力が強烈。将校グローブスのマット・デイモン(おっちゃんになったな)、恩師ニールス・ボーアのケネス・ブラナーだけはどんな映画でも、いいもんなのがお約束。あと、商務長官就任の公聴会で、ストローズの陰謀をばらしちゃうフェルミの助手・ヒル博士のラミ・マレック(あのフレディですね)も痛快だった。最後に一度も登場しないケネディが美味しいところをもっていくのは、ハリウッドらしいなあ。

| | | コメント (0)

カラーパープル

ゴスペル仲間で話題の新作を鑑賞。1900年代前半の南部ジョージア州に生きた黒人女性を描いていて、もちろんストーリーはひどい差別、苦難の連続だ。でも、むしろ女優たちの肉感的な生命力、野太さが前面に出て、圧倒される。シネコンで。

監督は新鋭ブリッツ・バザウーレ。主人公セリー(ブロードウェイ版でも同役を演じたファンテイジア・バリーノ)は父に虐待され、10代で結婚させられたミスター(コールマン・ドミンゴ)にも奴隷のような扱いを受ける。唯一の支えだった妹ネティ(リトルマーメイトのハリー・ベイリーが可愛い)とも引き離され、なんとも悲惨。
でも反骨精神の塊であるソフィア(舞台版にも出たダニエル・ブルックス)が、セリーの諦念を揺るがしていく。お調子者の義息ハーポ(コーリー・ホーキンズ)と結婚、夫にも偉い白人にも向かっていく気骨が凄くて、刑務所にも入っちゃう。さらに、はすっぱでミスターの愛人だったんだけど、夢をかなえたキラキラのブルース歌手シュグ(ベテランのタラジ・P・ヘンソン)にひかれ、勇気とガッツに目覚めていく…
ほかに、ハーポの恋人になる歌手スクイークにグラミー賞歌手のH.E.R.、シュグの夫のピアニスト・グレイディには、ちらっとジョン・バティステ!

曲とダンスがご機嫌で、音楽は「グリーンブック」「リスペクト」などのクリス・パワーズ、振付は「ドリームガールズ」などのファティマ・ロビンソン。
日曜礼拝のゴスペル「Mysuterious ways」はタメラ・マンがリード。ソフィアの怒りを重々しく繰り返す「Hell,No!」、ハーポが沼地に家を建てるシーンの「Workin」はダンスが豪快。ビックバンドにのせ、町の人々がシュグの凱旋を噂する「Shugu avery」、そのシュグが酒場で盛り上がる際どい「Push Da Button」や、ラグタイム風にセリーを勇気づける「Miss Celoes Blues(Sister)」。やがて洋品店で成功したセリーが歌い上げる「Im Here」、ラストで大人になったネティ役のシアラも歌うバラード「The Color Purple」が感動的だ。私のイチオシはクインシーとアンドレ・クラウチによる、奔放なシュグが牧師の父と和解するデュエット「Maybe God is Tryin to Tell You Somethin」!

巨木など南部の風景は、重いけれど美しい。夢のような映画の世界に飛び込むシーンなどには爆発力がある。

作品自体に歴史があって、原作は1983年ピリッツアー賞を受けたフェミニスト、アリス・ウォーカーのノンフィクション。1985年の映画版を監督したスティーヴン・スピルバーグやソフィア役だった司会者オプラ・ウィンフリー、音楽を担当したクインシー・ジョーンズが、本作では製作に回っている。なんと前作で主演し、映画デビューを飾ったウーピー・ゴールドバーグも、助産師役でちらりと登場。その後、2005年にブロードウェイでミュージカル化。今回はその映画版リメイクだ。ストーリーも音楽も、ブラックカルチャーの思いが詰まっている感じ。

| | | コメント (0)

BLUE GIANT

評判を聞き、石塚真一作・人気漫画のアニメ化を劇場で。ジャズの知識は皆無なんだけど、上原ひろみの音楽とピアノはさすが本物の疾走感。ほかにサックスはバークリー出身・馬場智章、ドラムはKing Gnuの前身に在籍したという石若駿。
盛り上がる演奏シーンは先に音を録って、後から絵をつけたとか。サックス奏者の息切れとか面白いけど、新海誠を観ちゃっているせいか、動きがちゃちいのは否めない。監督 は「名探偵コナン」などの立川譲、脚本は担当編集者の別名だというNUMBER 8。そもそも漫画で『ジャズを聴く」ってどんな感じなのかなあ。

知人が全編泣きっぱなしだったというストーリーは、仙台の高校生・宮本大がジャズサックス奏者を目指す成長譚。上京し、メンバーと出会ってバンド結成、最高峰ライブハウス「So Blue」への出演を果たす。クライマックス、入院中だったピアノ沢辺雪祈も加わってのアンコールは映画版オリジナルだとか。そのへんはベタなんだけど、ほかにこみいったエピソードが無く、ただまっすぐ理想を追いかける大の造形が、確かに魅力的だ。
声のキャストが贅沢で、大は山田裕貴、生意気な天才・雪祈は間宮祥太郎、人の良い努力家・ドラムの玉田俊二が岡山天音。

| | | コメント (0)

めぐりあう時間たち

METオペラのライブビューイング鑑賞を機に、原作映画をチェック。ニコール・キッドマン、メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーアの女優対決で、時間・場所が異なる女性3人のある一日を描く。行ったり来たり複雑なんだけど、静かな映像から、それぞれの何不自由ない日常に潜む抑圧が伝わってきて、実に文学的だ。
監督スティーブン・ダルトリーがロンドンの演劇人で、トニー賞、ローレンス・オリヴィエ賞を各2回受けていると知って納得。「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」も良かったし。キッドマンは本作でアカデミー主演女優賞を獲得しているんですねえ。

原作はピュリッツアー賞を受けたマイケル・カニンガムの小説。1923年、ロンドン郊外のリッチモンドで療養中のヴァージニア(特殊メイクのキッドマン)は、才能と理解ある夫に恵まれているけれど、死のイメージにとりつかれていて、そんな内面を投影した「ダロウェイ夫人」の着想を得る。その「ダロウェイ夫人」を愛読する1951年ロサンゼルスのごく平凡な主婦ローラ(ムーア)は、親友キティへの思いに気づいて自殺しようと、ひとりホテルへ向かう。そして2001年ニューヨーク・マンハッタンの編集者クラリッサ(ストリープ)は50年代とは違い、自立して女性パートナーと暮らし、若いころ恋人だった小説家リチャード(エド・ハリス)の世話をやいている。しかしリチャードもゲイでエイズに侵されており、受賞パーティーを前に投身自殺。知らせを聞いて現れたのは、かつて夫や息子をおいて家を出た母ローラだった…

「花を買ってくる」というキーワードが、ウルフを起点につながっていく現代女性の心情を象徴。豊かさや家族という贅沢を自覚しているのに、才能や恋心を持て余していて、違和感、虚しさを覚えちゃう。親しい人の死に直面して、自らの身代わりのように感じ、なんとか生きていく。ウルフは結局、1941年に入水自殺しちゃうんだけど。「ある一日」から1カ所だけ外れるこのシーン、オフィーリアみたいで印象的です。1日の同時進行や響きあう感じは、物理的に見せるオペラ版のほうが明確だったかな。

| | | コメント (0)

蜂蜜と遠雷

映像表現が美しく、心洗われる音楽映画の佳作。不思議ちゃん風間塵を演じた鈴鹿央士がみずみずしい。国際コンクールで競い合うピアニストたちの群像、若者の葛藤と成長を描いた恩田陸の直木賞・本屋大賞ダブル受賞作を映画化。監督・脚本はドキュメンタリー出身の石川慶。

ライバルである松岡茉優、森崎ウィン、臼田あさ美、松坂桃李らが、ひととき息抜きする砂丘。ケンケンパがいつも間にかモーツァルトになっちゃうシーンの解放感が素晴らしい。世界のすべてが音楽に聴こえている、そんな天才っているんだろうなあ。ロケ地は南房総だそうです。終盤、降りしきる雨のなかから、表現したい気持ちがわき上がっていくところも素敵。

プロコフィエフ等々、映画化最大の難関だったろうピアノ表現は、メーンキャストそれぞれにピアニストを起用する豪華さだ。ドイツ在住の河村尚子(松岡)、福間洸太朗(臼田)、金子三勇士(森崎)、藤田真央(鈴鹿)といずれも日本を代表する若手だとか。課題曲「春と修羅」は、藤倉大が4人に異なるカデンツァ(即興的部分)も作曲!

クールな審査員長の斉藤由貴と、「わかってそう」なクロークの女性、片桐はいりがいい味だ。設定のモデルは3年に1度の浜松国際ピアノコンクールだそうです。

| | | コメント (0)

ミッドナイトスワン

草薙剛のトランスジェンダー役が絶賛され、日本アカデミー賞作品賞、主演男優賞などを得た話題作。ショーパブ群像の目を覆うばかりの侘しさ、底辺感と、対照的にバレエを踊る少女の美しい指先、圧倒的なみずみずしさが鮮烈だ。内田英治脚本・監督。録画で。

新宿三丁目で働く凪沙(草薙)は気が進まないまま、ネグレクトに遭った親戚の中学生・一果(服部樹咲)を預かる。当初はとげとげしているものの、徐々に互いの真情を理解。一果に群を抜くバレエの才能があると知り、凪沙はなんとかして応援したいと思うようになる…

主人公2人だけでなく、取り巻く女たちもみな生きるのが下手。オデットが象徴する深い哀しみが全編を覆って、息が詰まる。墜ちていくショーガール瑞貴(田中俊介)、酷い目に遭わされても一果が求め続ける母(水川あさみ)、息子の変わりように取り乱す田舎の母(根岸希衣)、裕福だけど世間体ばかりの親友の母(佐藤江梨子)。なかでも親友りん(上野鈴華)の運命は、その飛翔が美しいだけに衝撃だ。実年齢20歳なんですねえ。

問題はどれも根深すぎて、なんにも解決しない。それでも、殺伐とした街で凪沙と一果が肩寄せ合い、手作りハニージンジャーソテーを食べるシーンが、なんとも温かくて感動を呼ぶ。そして大詰め、成長した一果が凪沙を思わせるトレンチコートにハイヒールといういでたちでコンクールに臨む凜とした姿に、えもいわれぬ解放感がある。エンタメとして成立してます。
印象的なピアノは音楽の渋谷慶一郎。バレエ教師・真飛聖のたたずまいのモデルは、監修した千歳美香子だそうです。

| | | コメント (0)

ノマドランド

2021年アカデミー作品賞の話題作を録画で。キャンピングカーに住み、日雇い仕事で食いつなぐ高齢者という過酷な暮らしを、淡々とドキュメンタリータッチで描いていて、なんとも重い。
閉山で廃墟になった街、主人公が眺める砂漠が、経済と福祉システムのひずみを突きつける。いったい世界に冠たる豊かな先進国は、どこで間違ってしまったのか。同時に、声高に告発するだけではない、精神の自由というものの抜きがたい哀しさを示して、胸が詰まる。脚本・監督はクロエ・ジャオ。

2017年のノンフィクションの映画化権を買い、制作、主演を務めたフランシス・マクドーマンドの、表現者としての覚悟のほどが凄すぎです。コーエン兄の奥さんで、メリル・ストリープに並ぶ大物女優さんなんですねえ。この人のドラマ「オリーブ・キタリッジ」も観てみたいかも。
ほとんどのキャストが実際の車上生活者というのも、リアルで見上げたもの。配給はサーチライト・ピクチャーズ。

| | | コメント (0)

TENETテネット

年末は自宅で映画三昧。「ダンケルク」のクリストファー・ノーラン監督の、難解過ぎで話題だったSFを、録画で。はなから覚悟していたので案外、楽しめた。
派手なアクション、カーチェイスの一部に、時間を逆行する人や車や銃弾がまじるのが、内臓がふわっと浮くような違和感で実に面白い。いったいどうやって撮っているのやら。こういうことを発想して、実現してみせる才能というものが、まず凄い。

どうやら未来でエントロピー減少=時間逆行により大量虐殺ができる「アルゴリズム」が開発され、未来人と結託した在英ロシア人の武器商人(ケネス・ブラナーが貫禄)が現代で実行を画策、ということらしい。陰謀を阻止するための謎の組織TENETにスカウトされた、名無しのCIA工作員(ジョン・デヴィット・ワシントン、デンゼルの息子なんですね)と協力者ニール(ロバート・パティンソン)が大活躍する。
TENの回文であるタイトルが象徴するように、順行・逆行2つの時間軸(赤と青)による「挟撃」がテーマになっていて、同じシーンがまず順行、次に逆行の視点で繰り返され、頭がクラクラする。ほかにもキエフの巨大オペラハウスで、観客が全員失神しているとか、びっくりの絵が続々。

テンポが良く、情報も満載なので、演技を味わう暇がないけど、ストイックなワシントンに対し、人を食った感じのバディ・パティンソンが魅力的。そんな態度も実は謎解きになっていて、凝りまくりです。ブラナーに反発する妻キャット役のエリザベス・デビッキが、すらりとした肢体と勝ち気な表情で、目を奪う。オーストラリア出身で元バレエダンサーなんですねえ。

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧