ベルファスト
状況に翻弄された庶民の思いを、切なく描く名作。シェイクスピア俳優ケネス・ブラナーが自らの少年時代をベースに監督し、アカデミー脚本賞を獲得した。吉祥寺の映画館で。
舞台は1969年、ベルファストのプロテスタント住民が多い地域。冒頭、カトリック住民への激しい襲撃シーンに、ガツンとやられる。雨の多い町は全編モノクロ。バリケードで分断され、緊張を強いられる毎日。
でも愛すべきやんちゃ坊主、9才で前歯に隙間があるバディ(ジュード・ヒル)の日常は、実にみずみずしい。初恋の少女の隣に座るため、テストで頑張って仲良くなる。クリスマスにサンダーバードの衣装をもらって大はしゃぎ。家族で観に行った映画「チキチキ・バンバン」は、そこだけ夢のように鮮やかなカラーで、名優の基盤を思わせる(テレビでは真昼の決闘やスタートレックも。ほかにもサブカルの小ネタが満載)。なにより周囲には、何かといえば道ばたに座り込んでおしゃべりする、貧しくもおせっかいなコミュニティがあった。
だからこそ、大切なものをすべて置いて、故郷を去る選択が痛ましい。古くはユダヤ、近くは香港やウクライナ。世界はなぜこうも残酷であり続けるのか。
ともにモデル出身というパーとマー(ジェイミー・ドーナン、カトリーナ・バルフ)が、ミュージカル俳優さながらで格好良い。特にマーが暴動のさなか、バディが盗った洗剤を返しに行くシーンの決然! そしてバディが「なぜ洗剤?」と問われ「環境に優しいから」と答える脱力との落差がいい。
アイルランド気質というべきか、はしばしのジョークも強靱だ。アルスター・フライを作りながら「コレステロール値でも一番はなにより」、「アイルランド人のおかげで世界中にパブがある」「生きるのに必要なのは電話とギネスとダニー・ボーイ」と言って、酔った叔母が熱唱するシーンの哀切。
なかでも元炭鉱夫のグランパ(キアラン・ハインズ)の人生哲学がいちいち滋味深く、いわく「算数のテストでは読みにくい数字を書け」。そんなおじいちゃんを愛し続けたグランマ(名女優ジュディ・デンチ)がアップになる、力強いラストシーンに泣ける。映像は細部まで丁寧で、ヴァン・モリソンの音楽もお洒落。
北アイルランド紛争は1972年血の日曜日を経て、1998年ベルファスト合意に至るものの、英国のEU離脱でまた不穏になっている。温かくて、やがて重い珠玉の1本だ。
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